----初めての米国訪問でしたか。日本とどのような違いを感じましたか。
日本に留学していた時、米国に短期間学習に行ったことがありました。しかし米国で長期間働くのは初めてのことでした。米国と日本は感じが違います。家は大きく、道路も広いです。同時既に米国と中国との間の巨大な経済交流を大きく感じていましたので、現地での仕事と生活を通じて、世界の超大国としての米国の姿を理解しました。
----米国に行って働いた後、企業での同僚との交流で、日本と違ったところはありますか。
日本と中国は違いますが、いずれも東方に属しており、人々の概念は比較的同じです。米国では多くの人種的背景が構想や概念の多様性を決定づけており、また米国社会は多元的な文化の存在を許容する大らかさを備えています。同僚の関係はより単純で、皆は顔をあわせれば笑いあい、仕事以外では夜の付き合いなどは非常に少ないです。もっとも別の面では、仕事の上では個人の職責に対する要求が多いです。
----日本で11年生活されたわけですが、米国では何年働きましたか。
1995年末に行き、2007年秋に中国へ仕事のために戻ってきたので、大体12年です。
----日米両国で長い間生活されて、特に印象深い出来事はありますか。
私はC社の米国本部で一定期間働いた後、別のN社に移りました。米国にいる間、中国経済がますます注目を集めているのを強く感じました。私のその後の企業はグローバル企業で、業界全体が世界で第4位、規模は前社を大きく上回っていました。当時私はアジア地区の業務を担当していましたが、中国との業務がますます増えていました。農業・畜産品職人業界から米国を見ると、やはりその発展度に感嘆します。例えば、政府の発展戦略やその基礎理論、実用技術の開発力、農業・畜産業の基礎的な規模の大きさ、優良品種の研究やコントロールなど、世界でも屈指のものです。こうした独占的な優勢が、世界で業界規定をリードし制定する上での強みになっています。また、業務で農業や畜産の大手企業をいくつも訪問しましたが、多くの企業が専用のジェット機を持ち、専用のパイロットを雇い、1日でいくつもの省の農場や牧場を見て回れるようになっています。米国の農業・畜産業の現代化レベルの高さと、規模の巨大さに感嘆させられました。
他には、「9・11」事件があります。当時私は車で出社途中で、朝家を出てしばらくするとラジオから事件のことが流れてきました。当時は戦争が起こったのかと思い、恐怖を感じ動揺しました。
----米国人はどのような態度でしたか。
当時、人々は一体何が起こったのかわかっていませんでした。マンハッタンの高層ビルが倒壊すると、人々の心に巨大な衝撃を与えました。その後人々は、米国が戦争を発動してイラクを制裁することは正義の戦争だと思うようになりました。