日本国首相の安倍晋三はこのほど欧州を訪問し、「日本はドイツを真似るべきか」との記者の質問に対して、あろうことか「すでに日本は戦後、賠償、財産、領土要求などの問題を近隣国と真摯に解決済みだ」と嘘を言ったうえ、「ドイツが戦争の罪を懺悔した客観的原因は欧州が統合を追求していたことにあり、戦後のアジア情勢と欧州は全く異なる」と妄言を吐いた。A級戦犯を祀る靖国神社を参拝し、南京大虐殺や慰安婦の罪を否認しようともくろんだこの右翼政治屋は、彼の指導する日本がドイツを真似て歴史を真摯に反省することはあり得ないし、望まないということを世界に分からせようとしたのだ。(人民日報「鐘声」国際論評)
誤った言葉を吐き、歴史をねじ曲げるこのような手口を、人々はすでに何度も見ている。だが、どのようなパフォーマンスをしようとも、証拠が明白で覆すことのできない歴史を、未決のものに変えることは不可能だ。唾棄すべきは、第2次大戦終結から70周年近くとなる今日、安倍を頭とする日本政府は歴史の残した問題に責任を負うことを拒絶するのみならず、領土問題で隣国を挑発していることだ。そのような安倍があろうことか欧州まで行って、裸の王様のように、自分では世論を惑わすことができると考え、「戦時責任問題はすでに真摯に解決済み」と白々しく語ったのだ。
第2次大戦後の欧州史を熟知する人なら誰しも、ドイツの懺悔が欧州諸国が和解を実現し、統合へと踏み出す基礎となり、前提となったこと、了解と寛恕は真摯に罪を悔いる者にのみ与えられることを知っている。だが安倍は原因と結果を逆さまにし、アジアには統合という目標と相互和解がないため、日本がドイツに学ぶことはできないと言った。アジアの不仲を作り出したのが自分であることは明白なのに、アジア隣国の正義の反発を自らの誤った行いの口実とする。狡猾さの才能の限りを尽くして、かえって愚かにも日本にさらに大きな歴史問題の重荷を背負わせたのだ。
ドイツを鑑とすることは、確かに日本右翼をやましさにびくびくさせる。戦争について自らを省み、平和を渇望する当時の無数の民衆の訴えを前に、ドイツ政府は知恵をもって順応を選択。巨額の戦争賠償金の支払い、戦後国際協定の尊重、領土分割の承認、立法措置によるナチス復活の厳格な防止、第2次大戦の歴史に対する教育宣伝の強化などを含む様々な実効性ある措置を自ら講じた。また、各政党、労働組合、教会、メディアは多層的、全方位的な監督ネットワークを構築し、ナチスに対する確定判決を覆そうと企てるいかなる濁流も萌芽のうちに除去されてきた。1985年5月8日の世界反ファシズム戦争勝利およびドイツ無条件降伏40周年記念日のことを人々は覚えている。ヴァイツゼッカー大統領(当時)は連邦議会での演説で、ドイツがナチスの暴力統治から脱した日を「敗戦日」ではなく「解放日」と呼んだ。まさにドイツは過去の戦争に対してこのように深いレベルの省察を行ったからこそ、国際社会に再び受け入れられたのだ。