高速道路網の建設は都市が一体化発展を遂げるための前提条件だ。1960年代に、東京、川崎、横浜の3エリアが相互に接続して1つの大きなブロックになり、次は東部臨海地域に向かって拡大を始めた。70年代になると、郊外の鉄道沿線エリアが徐々につながってエリアを形成し、東京都内から半径50キロメートルの地域はすべて市街地に変わった。85年以降は、東京から千葉までの臨海地域がつながった。
道路建設は人口の郊外化と新都市計画との結びつきを基礎として、副都心機能を強化し、中枢中核都市を育成し、空港に接続する交通路線を改良した。新宿、池袋、渋谷の3副都心の業務集積力をさらに高めて、都心と副都心、副都心と副都心、居住エリアと副都心との軌道交通の接続を強化するため、また上野、浅草、錦糸町、亀戸、大崎の各エリアの活力を高めて副都心機能を増強するため、日本は各エリアの軌道交通の発展に力を入れてきた。同時に、川崎、立川、八王子、大宮、浦和などのビジネスエリアの育成を後押しするために軌道交通を建設し、軌道交通計画と1985年の首都改造計画の中で打ち出した副都心育成政策とを関連づけてきた。
▽駐車にも運転にも厳格な法律を制定
日本人には法律を遵守し、信用を尊ぶ強い道徳意識がある。日本には交通専門の交通警察はないが、日本人は公共意識に基づいて交通法規を自覚的に遵守する。
経済高度成長期、日本は自動車が急速に普及するとともに深刻な駐車場不足の問題に直面した。駐車場設備が不足し、個人ドライバーの駐車ニーズと進まない駐車資源の供給とが重大なアンバランスをみせるようになった。しかし64年の東京五輪を契機に、日本は駐車場をめぐる整った法体系を構築し、「自動車を購入する人は自分で駐車場を用意する」ことを基本原則として確立した。また固定の駐車スペース、駐車場の計画、道路脇の駐車スペースについて非常に厳格な法律・規定を制定した。こうして無秩序な駐車現象を根本的に食い止め、駐車場施設の建設を促し、中央と地方自治体が主体となって、社会のパワーの参加を促し、駐車場技術産業を発展させ、駐車場産業のスマート化を推進した。
これと同時に、時間に正確で効率の高い公共交通システムの発展に力を入れ、パークアンドライドというグリーンな交通スタイルと結びつけ、都市の駐車場不足という難問の解決に成功した。(編集KS)
「人民網日本語版」2019年5月22日