人民網ではこのほど、「AI時代の外国語教育 その苦悩と模索」をテーマとする小野寺健氏による連載をスタート。小野寺健氏は特定非営利活動法人日中友好市民倶楽部の理事長を務めるほか、長年にわたり数多くの中国の大学で日本に関する教育指導を行い、「淮安市5.1労働栄誉賞」や「第二回野村AWARD」、「中国日語教育特別感謝賞」などを受賞しているほか、人民日報海外版では「中日友好民間大使」として紹介されている。
第七章 社会の求める人材像
専門学校と大学教育の違いは、専門学校が技術の習得により、即戦力の高い人材育成を目指しているのに対して、大学教育に於いては、人格と能力のバランスを取りながら、専門性の高い人材を育成することにある。ただ日本語を専攻したことが、専門性の範疇に該当するのかという疑問が提起されているように、ここに外国語教育の苦悩が、凝縮されているといえる。
そこで、複合的人材の育成が唱えられ、日本語+経済学或いは日本語+法律学等が考えられているが、この図式では、経済学+外国語或いは法律学+外国語の学生には、太刀打ち出来ず、混迷の度合いを更に深めている。
そして、これを裏付ける様に、三井物産は北京大学法学部とインターンシップ協定を結び、伊藤忠商事は社内の会議を、中国語で行なうといった取り組みをしている。
このように日本語学習を通じて、問題処理能力の高い社会の進化に対応したフレキシブルな学生の育成が求められているが、これについては、演習とゼミの活用が一つの解決策と考えられており、拡大志向を続けた学科構成と規模を縮小して、量から質への転換が、必要であると考える。
また、厳しい受験戦争を経て入学した学生は、自己の経験と学んだことに制約され、成績第一主義の「点取り虫」が跋扈しているが、IQよりは心のEQが、成功要因との学説もあるので、部活や社会貢献活動を通じて、優しさと人格の陶冶を行うことは、学問以前の大事な試みであるといえよう。
面接に訪れた清華大学の女子学生は、日系企業の面接に参加すると実務経験の有無を質問されるので困惑するとしていたが、企業は大学名や大学時の成績よりも、即戦力としての資質と問題処理能力の高さを求めており、大半の学生が、就職を希望する現実を鑑みれば、演習や卒論作成を通じて、自分の頭で論理的に物事を考える習慣と、未知の問題に対して、自己の学びと智慧を結集して、問題解決に取り組む積極的な姿勢を、訓練することが求められる。
そして更に重要なのが、新たな価値を産み出す独創的な視点の陶冶だ。これには、一見無駄と思える美術・音楽・文学などの芸術に触れ、豊かな感性とセンスを磨くことも大切だといえる。
「この世に於いて、画期的なことをするためには、周知の通り、二つのことが肝要だ。第一に頭が良いこと、第二に大きな遺産を受け継ぐことだ」というゲーテの言葉にあるように、若い時に、全精力を傾けて、文学・歴史・哲学の中から、自己の嗜好に合う一流の著作(古典)に取り組めば、尽きることのない遺産(叡智)を獲得出来るので、学ぶ対象を絞り込んで、後顧の憂いを断つ勇気が必要だ。
孔子も同様に、「これを知る者はこれを好む者には及ばない。これを好む者はこれを楽しむ者には及ばない」としており、好きなことを見つけて、楽しく学ぶことが、大きな成果をもたらすといえるだろう。
賃金上昇が生産性向上に結び付かない製造業は、東南アジアへと軸足を移し、商社と金融・証券は、AIを使いこなして、新たな価値を産み出す人材を求めているため、怒涛の如く押し寄せるAI時代の到来は、更にこれらの傾向に、拍車をかけるのではないだろうか。
「人民網日本語版」2019年3月13日