池田澄江氏
当時の池田さんは「小日本鬼子(日本人に対する蔑称)」の意味を知らず、たとえ周りの子どもにそう呼ばれても特に気にとめることもなかった。養母も「それはただのあだ名。あだ名がないと大きくなれないんだよ」といって励ました。しかし、7歳になったある日の出来事がきっかけで、この蔑称に特別な意味があることを池田さんは知ってしまう。小学校2年生のときで、抗日戦争を題材に扱った映画を映画館で鑑賞する活動を学校が設け、日本兵が中国人を殺戮する光景をスクリーンを通して目の当たりにした。池田さんを含む校内の生徒全員が憤りに満ちていたとき、突然同級生が池田さんを「小日本」といって責め立てた。池田さんは恐怖のあまり映画館の椅子の下に潜り込んで出て来れなくなった。
この情況に気づいたある先生が池田さんを責めた生徒に、「映画の中の日本兵は悪い人。でも池田さんはただの子ども」だと説明したという。池田さんは感激し、先生が「弱い者を守る偉大な存在」に思えたと振り返る。このときから池田さんの夢は大きくなったら教師になり、この先生のように他人を助けたいと思うようになったという。
8歳の頃、警察が日本人残留孤児の登記確認にやってきた。養母は初めてはっきりと池田さんが日本人であることを告げるも、池田さんはそれでも自分と周りの子どもの違いが分からず、養母を実の母親だと思いこみ、周囲の人の日本人に対する評価を少し気にするようになっただけだった。「日本軍は悪いけど、日本人が皆悪いというわけではない」と養母は慰めた。