将来の夢について聞くと、五十嵐さんは次のように語った。
――今の生活にすごく満足しています。これ以上お金持ちになろうとか、教室を会社にしようとも思ってないんですよね。のんびりした気持ちで、自分で出来る範囲内でやっていければ。子供といる時間が少ないと思っているので、できるだけ子供といる時間を大切にしたいんです。
ただ、夢とは違いますが、着物という日本の文化は中国の人にちゃんと伝えたいという思いがあります。習ってほしいということではなく、着物に関してもう少し理解して欲しいなと。
今、日本文化交流センターで年に数回浴衣を着るイベントを手伝っているのですが、その際に、中国の若い人たちから、「どうして座布団をしょっているんですか?」とか、「着物着るときに帽子かぶりますよね」とか、聞かれたりします。10歳の頃から着物に親しんできたものからすると、座布団ではなくて帯、帽子ではなくて綿帽子であるということをちゃんと伝えたいですね。
先日も、中国映画の着付けを手伝ったのですが、見よう見まねで美術の人が作ったものだったので、それこそ帯が座布団のようになっていて、着物に縫い付けられていました。こういう状況を見ると、その思いがより切実になりました。
最後に、中国人の夫と結婚して良かったことはと聞くと、次のように語ってくれた。
――数年前、妹が倒れて危篤状態になったときに、母親は私を心配させないために、実情を話さず、大したことないと報告して来たのですが、中医学の医師である主人は、その内容を聞いて、これは深刻だから、すぐに実家に戻って、大変そうだったら、妹の子供を預かってきなさいと言ってくれました。東日本大震災が起こったときにも、親戚をみんな呼んで、北京で暮らせばいいと言ってくれたりと、すごく器が大きいところですね。
あと、私の仕事のこともすごく大切に思ってくれて、協力してくれるのも有難いです。日本の場合だと、通常は自分の仕事が大事で、奥さんの仕事は二の次ですよね。でも、主人は、私の仕事が忙しければ、食事も作ってくれるし、子供の面倒も見てくれる。先日も、泊りがけの仕事があって、家を空けてもいいですかと恐る恐る聞いてみると、了解してくれました。中国では、男性が女性の仕事に理解を示してくれるので、女性は本当に仕事がしやすいと思います。
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人民大学内のカフェ「水穿石珈琲館」の店内には、メッセージ帳やメッセージボードが置かれ、そこを訪れた様々な人々が徒然なるままに文章やメッセージを書き込んでいる。読んでみると、会ったこともないその人の日常生活が垣間見えてくる。ここは、訪れた人が気負わず、普段着のまま和める、陽だまりのようなカフェだ。
朗らかな五十嵐さんは来た当初の苦労を明るく話してくれたが、聞けば、北京に遊びに来た母親が鼓楼の家に訪れた際、「娘がこんなに苦労している」と陰で泣いていたそうだ。その話をする五十嵐さんの目も少し潤んでいた。五十嵐さんにとって、おそらく人民大学のカフェは、大きな環境の違いやつらいことを乗り越えて手にした日常の幸せの象徴のような存在に違いない。家族みんなで食事を楽しみ、大好きなコーヒーを飲む。ささやかではあるが、なんて幸せなことだろう。