今年は世界反ファシズム戦争勝利70周年であり、日本にとってのその重要性は言うまでもない。敗戦の廃墟から世界の注目する経済大国に躍進した日本は、自らの力によってここまで発展したと自称している。このような誇りは江戸時代の負の精神遺産を膨張させ、日本社会を蝕み続けている。国際社会及び自らの置かれた環境に対する考慮の欠如は一貫した日本の悪い癖であり、世界公認の正義に耳を貸さないことさえある。1990年代にバブル経済がはじけて、「失われた20年」に陥った問題でさえ、依然正されていない。(文:霍見芳浩・ニューヨーク市立大学名誉教授)
21世紀において国民の生活水準を高めるには、資本、情報、技術の三大要素の投入が必要だ。この三大要素はインターネットを通じて、地球を毎秒7周半する速度で世界に広まる。従って、大国であろうとどの国であれ、経済発展と安全保障を自国の力だけで実現することは不可能だ。だが、安倍晋三首相ら戦後生まれのナショナリストは戦争を放棄した日本国憲法第9条を骨抜きにし、日本を戦争を発動できる国にしようと企てている。彼らは日本の悪い癖に蝕まれ、「日本の戦争責任を認めるのは自虐行為だ」と鼓吹している。だが良識ある日本人はみな、日本の戦争責任と植民地支配期間に犯した罪を認めることこそが正しいことだと分かっている。これは21世紀において日本が国際協力を展開する上での出発点だ。過去の罪を隠蔽、美化しようとして、全世界から強く非難され続けることこそが自虐行為だ。
1993年に河野洋平官房長官(当時)は日本軍による慰安婦強制連行問題についておわびする談話を発表した。1995年に村山富市首相(当時)は日本の侵略と植民地支配の問題について反省し、おわびする談話を発表した。これらは歴史を直視する、責任感ある発言であり、日本は国際社会の尊敬を得た。だが、両談話を骨抜きにしようとする者がいることが憂慮される。
日本軍国主義の侵略の最大の被害者としても、21世紀の世界平和に対して責任を負う大国としても、中国は日本の首相に対して第2次大戦のA級戦犯を祀る靖国神社への参拝を止めるよう要求し、日本政府に対して河野談話と村山談話の国会決議を求める責任と義務がある。
日本の正式な謝罪を最も示すことができるのは両談話の国会決議だ。だが過去20年余り、日本のナショナリストはこれを妨害し続けてきた。両談話を国会決議しないのであれば、日本を含むアジア太平洋各国の安全は保障されない。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年6月12日