北京での暮らしは、すでに日本で暮らした年月を越えている。宮崎さんに今後の展望について聞くと、次のように語った。
――今後のことは、自然に任せようと思っています。いずれは日本に帰って、気功治療院の後を継いでと漠然とは考えていますが。まだその時が来ていないというか。
武道に「守破離」という言葉があります。守破離とは、武道に入るとき、最初はルールを「守」って、稽古をしていきますが、あるとき、自分のレベルがそこを超えて、自分独自のものを作り出せる段階になると、初めてそれを「破」って、最終的に、自分の師の元を「離」れて自分の道を作る、という学びの一つの流れを表した言葉なんです。
私はまだまだ、その守の段階にあります。今あるものを学んで、自分の中に取り入れることは知っているのですが、まだ自分独自のものを作り出すまでには至っていない段階だと思うんです。例えば、最終的に独立するというのは、「離」の段階になったということですが、それは、今まで自分が学んできたものや積み上げてきたものをまとめて、自分の看板を掲げてやっていくということですよね。だったら、あと何年で独立できるのか?というのは正直、自分でもわからないのですが。
人の身体と誠実に向き合うというのは、ここまでのストイックさを求められるのかと圧倒されていると、宮崎さんはそれを見透かしたように、次のように語った。
――私なんて全然ストイックじゃないですよ。もっとストイックに生きている人は周囲にたくさんいます。ただ、母親を見ていると思いますが、普段人に尽くして生きている人間には、自分が充電する時間も必要です。何事もバランスが大事なので、贅沢していいときは、贅沢にすることも大切です。
「ケチは嫌だ。人に対する愛もケチケチしてはならない。愛を注ぐなら、存分に注ぐ。その代わり、自分の楽しむときも、自分が本当に楽しめるようにする」。
これは、母の言葉なのですが、私もそうあるべきだと思っています。人に親切にするなら、存分にすべきだと思います。これぐらいでいいかと出し渋ると、やっぱり後悔するのは自分であり、全てに対して中途半端になってしまう。人に何かしてもらうのも、人に何かをするのも、ささやかなことであっても、とびっきりの笑顔で、大きな声でするほうが気持ちいいですよね。
私の今の贅沢ですか?日本に戻って食べる果物ですかね。特に今は蜜がいっぱい詰まったリンゴにはまっています。(笑)
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すでに7年ほどのつきあいになるという「子午塘茶社」の馮霞さんは、実は宮崎さんが日本人であることを知らない。日本語が話せる中国人だと思っているそうだ。それほど流暢に中国語を操る宮崎さんだが、今年に入りある期間、通訳の専門学校に通った。また、気功の治療に役立つからと去年始めた八卦掌と太極拳は、今年の7月に北京で行われた太極拳の国際大会2種目で優勝した。今も毎日のように公園に向かい、練習を続けている。
このように、17歳のときに北京の気功治療院で働く若者たちの姿に心を打たれた宮崎さんは、その時の感動や情熱をたやすことなく、今も日々の鍛錬や学びの姿勢を持ち続けている。やり始めたことは、一生続けるという覚悟を持って、全力で取り組む。おそらく宮崎さんは、気功療法士として人を治療するときも、お茶を入れるときも、自分の中の愛を存分に注ぎ込んでいるのだろう。宮崎さんは、「気功とは人生、人の生き様そのもの」だという。目に見えないことで理解されにくい、気功という途方もなく膨大な学問に人生をかけて向き合っている宮崎さんの姿に心を打たれた。