万人受けの「定番」は時代遅れに
実際のところ、「マニアック路線」はすでにここ数年、世界的にもテレビ界の大きな流れとなっており、ありふれた日常生活の中から発想を得て、その奥深い意味を探るのが味のあるドラマの基準の一つとなっている。
米ドラマ「ブレイキング・バッド」では、麻薬製造と学校講師の二重生活をする主人公の、麻薬製造という人道に外れた行為に対する心の葛藤と絶望が描かれている。狂言誘拐をめぐる人間模様を描いた米サスペンス映画「ファーゴ」は、大胆にもインパクトのあるシーンを使わないという「落ち着いた展開のストーリー」が特徴で、残酷な事件が、日常の中で起きる一連の判断ミスの中に潜んでいることを描いている。定番化を得意とする米ドラマは近年、そのスタイルに反旗を翻す道を歩んでおり、作品からは定番から外れようとする製作者の決意がにじみ出ている。
では、多くの人の心を捉えていた「定番」が、映画・ドラマで避けられるようになっているのはなぜなのだろうか?視聴者が「定番」は見飽きたというのはもちろんのこと、コンテンツ形式のクリエイティブやイノベーション、さらに、「生活」や「心」に回帰しようとする真摯な製作態度の表れであるといえるだろう。
「子供のころは、サディスティックな作品が好きで、大人になってからはありふれた日常生活を描く作品が好きになった」というある漫画家のコメントがこの疑問に対する正しい説明となっている。事実、内容のリアルさや製作における派手さというものは、往々にしてその製作者がありふれた日常生活をどれだけ深く掘り下げているかにかかっている。人々にとって、最も強烈な羞恥心や敗北感、ネガティブな感情や難解な問題の解決策は往々にしてごく普通の生活の中にある。「カルテット」に出てくる「泣きながらご飯食べたことある人は生きていけます」というセリフがそれを如実に物語っている。異なる体験をして形作られていく個人個人は本来唯一無二の存在であり、その感情や思いのマニュアル化した表現や「定番」などは存在しないはずなのだ。本当に必要なのは製作者が日常生活をじっくり観察し、心からいろんなことを感じることではないだろうか。
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