――こういった民族性は囲碁の上にも現れていますか?
日本は伝統を守り続けている民族です。韓国の囲碁は勝つことが唯一の目的で、勝ちさえすれば、どのような打ち方かは重要ではない。しかし、日本は終始このような打ち方はできません。日本人は囲碁には芸事と同じような「道」があると考えています。このため、碁盤の上で人を軽視するようなことはできない。囲碁の手も美しくなければなりません。
また、日本の囲碁は儀式としての感覚が非常に強い。この点では、中韓はとても足元に及びません。日本人からすると、囲碁はあくまでも優美でなければならない。碁盤の上での勝負が重要であることはもちろんですが、それがすべてではありません。
――日本の囲碁の現状に対して、日本がさらに強くなるための鍵は、どこにあると思いますか?
日本の囲碁界の現状は、主に若い棋士の成長が非常に遅いという問題があります。囲碁愛好者の年齢層は上に偏っており、青少年の棋士はさらに減少しています。基数が多い場合にのみ、優秀な人材が出る確率も大きくなります。
日本もこの問題に関して認識しており、考えていないわけではありません。しかし、これは環境と非常に大きな関係があります。現在、日本の経済は、下り坂にある。国の前途は非常に重要です。我々はあのような時代を生きてきました。もし中国が今のような状況でなければ、囲碁のこのような発展もあり得なかったです。これは、好循環の過程です。
――長く囲碁を打ってきたことで得た最大の収穫はなんですか?
女性が囲碁をすると、論理的な思考と同時に、意思力も鍛えられます。囲碁を一局打つには非常に長い時間がかかりますが、すべての過程において自分1人で向き合わなければなりません。対局中、形勢がずっと悪い可能性もあります。この時は、さらに耐え忍ぶことを学ばなければなりません。チャンスが来るのを待ち、あきらめてはなりません。これは棋士の心に対する一つの試練です。
よく言われることですが、一手のミスが敗北を招きます。いくら前半が順調でも、一つのミスですべてが台無しになってしまいます。どんな棋士でもこのような経験をするものです。これは、棋士の心身に対する一種の試練です。(編集MZ)
「人民網日本語版」2015年4月27日