■中国囲碁国家代表チームに選出
――当時、国家代表チームに入った頃のことを教えてください。
1983年の初め、14歳の時に、国家代表チームに入りました。当時、囲碁国家代表チームはスポーツと同様に国家体育総局訓練局で、合宿訓練を行っていました。
■素晴らしい体験
――当時の重要な試合を覚えていますか?
当時多かったのは中日間の試合でした。その時は、まだ韓国は台頭していませんでした。中日間は中日親善交流試合を開始し、後に対抗戦が行われるようになりました。中でも、中国全土に囲碁ブームを一気に引き起こしたのが、中国と日本のチームによる対抗戦形式の棋戦「中日スーパー囲碁」でした。当時私が対戦したのは、日本の今村俊也棋士でした。対戦相手が誰になるのかわからない形で行われました。私の前に対局したのは、国家代表チームメンバーの芮乃偉棋士で、相手に2-0で勝利しました。日本チームは、後者になればなるほど強くなりました。私の番が来ましたが、実際、相手の実力は、私より上でした。しかし、これも非常に良い体験となりました。
■日本へ渡る
―― 当時なぜ日本に行こうと思ったのですか?
日本は囲碁との縁が非常に深い地ですし、日本なら囲碁で生活していくことができたからです。これは、非常に現実的な問題でした。日本では、女流棋士は非常に尊敬されます。もし、囲碁が盛んでないところへ行けば、囲碁から全く離れてしまいます。国外では多くの困難に遭うものですが、最初の壁となるのは語学と生計です。90年代は中国全体がまだ貧しかった時代です。あの時代、日本の一杯のラーメンの価格は、基本的に私の中国の半月分の給料にあたりました。しかも、私にとって日本はまったく見知らぬ環境でした。さらに、新しい対人関係も築いていかなければなりません。約半年の時間を経て、ようやく日本の生活に適応しました。あの頃は、「帰国したい」と考えたこともありました。しかし、あの時の私には他の選択肢はなく、自分の行動と専門分野で人々からの評価と尊敬を得るしかありませんでした。