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郷に入っては郷の酒―「酒は人生の潤滑油」というが…

人民網日本語版 2015年04月09日09:27

10数年前、中国で営業する場合、ビジネスの本題に入る前にまずは必ず白酒を飲まなければならなかった。このため在中日本人の中には、「白酒恐怖症」になってしまった人も少なくない。10数年後の現在、この状況は大きく変わったのだ。(文:島影均。人民中国雑誌専門家、北京白酒会会長)

「北京白酒会」は毎月第3月曜日午後6時半から北京市内のどこかで開かれている。10年以上の歴史があり、これまでに飲みほした白酒は1100本を超えるという「歴史と伝統」を誇る会だ。先ず「月曜日」という設定に深い意味がある。「ゆっくり飲むなら金曜日が良いだろうに」と誰しも思うが…。

毎回集まるのは日中双方のビジネスマン、メディア関係者など男女合わせて10人前後。三々五々集まり、先ず、北京ビールで「うがい」と称して、喉を潤す。ほぼ全員そろったところで、会長を務める筆者が「それでは一本目を始めましょう」。この会で飲む白酒はメンバーの持ち寄りが原則。中国各地に出張する機会の多い駐在員が仕事の合間に買った酒や、土産にもらった酒を持参する。

先着順に提供した酒にまつわる「蘊蓄」を傾ける。「この酒は山西省太原市に出張した時に副省長から頂いた『北方焼酒』です。45度で清香型。5大銘酒の一つ汾酒の1種。原料は高粱、大麦、豌豆。産地は山西省汾陽市杏花村」などと説明する。全員に杯が行き渡ると、その酒の提供者の音頭で「乾杯!」。ここでこの会のルールその1-「乾杯を強要しない。自分のペースで飲むこと」。このルールには10年前にこの会を創設した皆さんの涙の物語が込められている。

筆者が先人たちから聞いた話を紹介しよう。両国関係が順調で商社やメーカーの日本人駐在員が中国全土を飛び回り、30代の商社マンに数億円単位の商談をまとめる権限が与えられていた1980年代、90年代は、売り込み先の中国人との「人間関係構築」が勝負だった。「酒を酌み交わして交流」というのが最も有効な手段。もともと「ノンベー(酒鬼)」には「これこそ天職」と喜んだと思うが、下戸には「これこそ地獄」だったに違いない。白酒恐怖症の症例は枚挙に暇がない。そうした苦い経験を踏まえて「白酒は中国食文化である。じっくり味わって楽しもう」という健全な意図でこの会はスタートしたそうだ。


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