もう一つの理由として、漢民族が明朝政権を打ち立てた後、自分たちの正当な地位や中央集権統治を強化する目的で、伝統的な儒家思想の全面的な発揚・発展を目論んだ。芸術の分野では、明らかに創造性の弱体化が始まった。獅子の表情やポーズは、だんだんとプロトタイプ化の方向に傾き、今どこででも見られるような、威厳ある冷酷な感じの表情に落ち着き、相好を崩して笑う獅子が作られることはなくなった。お決まりの「座った姿勢」は、主人に対する忠誠心を著し、封建統治における尊卑上下の観念を示す象徴となった。
現存している獅子像は、明清時代のものが多く、人々が良く眼にするのは、このタイプだ。たまに、表情やポーズがユニークな獅子に出会うと、思わず「可愛い!」と感激してしまう。
実は、北京には、これらと良く似た「萌え獅子」が少なくない。たとえば、白塔寺文化財保管所には、一対の「怠惰な獅子」がある。専門家によると、これは元代の代表的な作品という。「怠惰」と言われるのは、獅子が頭をまっすぐ挙げて石座に座っているのではなく、やや背中を曲げていることによるもので、学術上では「塌腰獅子」と呼ばれている。 (編集KM)
「人民網日本語版」2015年4月20日