■日本軍が米パイロットを殺害
第2次大戦の中国戦区では、中国軍人と共に日本の侵略に反撃を加えた外国の軍人が少なからずいた。「フライング・タイガース」と呼ばれた米国の対中支援義勇航空隊(1943年に米陸軍第14航空隊に編制拡充)は有名だ。抗日戦争期間全体を通じて対中支援米国空軍は日本軍に重大な打撃を与え、自らも深刻な損害を被った。
中国を支援して戦う米軍パイロットに対して、日本軍は激しい恨みを持っていた。「フライング・タイガース奇兵館」で記者は日本軍の残虐行為に関する記述を目にした。1944年12月16日、日本軍は東京爆撃任務を終えたばかりの米軍パイロット3人を湖北省応城で捕虜にした。拷問にかけて自白を強要した後、満身創痍の米兵を寒い冬に下着だけで見せしめのために漢口の街中を4マイル引き回した。翌日、日本軍は彼らを火葬場に連行し、30分余り痛めつけた後、火葬炉に入れた。この時、1人はまだ生きていた。
樊建川氏によるとこれらの文書はいずれも1943年から1945年までに米国MIS-X(米国軍事情報局X部)メンバーのヒル少佐が作成したものだ。当時同部門はコードネームを「AGAS」とし、中国で撃墜された連合軍空軍捕虜の救出を担当していた。ヒル少佐は1944年に中国へ空軍捕虜秘密救出網の組織に派遣され、8カ月間にパイロット46人を救出。1945年の抗日戦争勝利時の武漢での日本軍投降式にも出席した。この計画は1995年になってようやく機密解除され、中国系の陳守仁氏がヒル少佐の娘から託されて数百点を全て同博物館に寄贈した。(編集NA)
「人民網日本語版」2015年4月17日