ヘリコプターからの映像を後で見ると、デモ開始の午後3時前に広場はいっぱいになり、放射状に広がる道は押し寄せる人々であふれていた。ラジオでは今回の集まりを「解放以来」の規模と表現していた。ファシズムドイツの4年にわたる占領から解放された1944年8月、パリは歓喜に湧き、人々が町に出てきた。今回のデモをそれと比べるのは大げさかもしれない。しかし水曜に始まった一連の襲撃事件で不安にかられていたフランスの人々が、事件の一応の終息によって安堵のムードにあることは確かである。テロリストがまだ逃亡中であれば、デモの様相はまったく異なっただろう。
▽合言葉は「ジュ・スュィ・シャルリ」
編集部襲撃の後に人々の合言葉になり、デモでも多くのプラカードに書かれていたのが「Je suis Charlie」(私はシャルリ)というスローガンだった。シャルリとは勿論、テロの標的となった「シャルリ・エブド」のことである。「エブド」とは「週刊」を意味する「エブドマデール」の略で、日本語訳すれば「週刊シャルリ」ということになる。「シャルリ」は、「チャールズ・ブラウン」から来たとも、シャルル・ド・ゴールをからかって付けたとも言われている。
このスローガンは、襲撃のニュース後にツイッターで生まれたとされる。テロによって言葉を失っていた人々は、「私はシャルリ」と宣言することで、雑誌社への攻撃という言論を圧する暴力と真っ向から対決する決意を示した。SNSでプロフィール写真をこのロゴに変えたり、店舗のウィンドウにこの紙が張ってあったり、壁に「私たちはみんなシャルリだ!」という落書きがされてあるのを見ることが多くなった。各国語でも書かれ、中国語では「我是査理」というプラカードが掲げられているのをテレビで見た。
デモの最中にも時折、「シャルリ、シャルリ」という掛け声が時折かかったり、感情が溢れだすようにさざなみのような拍手が起こったりしていた。誰かが国歌「マルセイエーズ」を歌い出すと、皆がそれに唱和していた。