2014年4月8日  
 

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電通PRの代表・鄭燕さんにインタビュー「中日間コミュニケーションの強化が必要」

 2014年04月02日17:46
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>>日本留学帰国者インタビューシリーズ

 略歴:

 鄭燕さん、女性。1989年に北京で日本語の勉強を始め、94年に日本に留学。95-99年、日本一橋大学商学部でマーケティングを専攻。99-03年、米国の総合コンサルティング会社・アクセンチュアで、業務改善や国際業務発展戦略などのコンサルティング業務に従事。03-08年、広告代理店・電通で、営業兼戦略プランナーを担当し、グローバルブランドの消費者調査、ブランドマネジメント、及び各国での広告宣伝、9カ国に及ぶインターネットプラットホームの立ち上げなどを行う。08年、電通PRに入社し戦略PRプランナー資格を取得、中国部分の責任者として、企業約60社と政府機構のコミュニケーション戦略制定や実行に参加する。11年6月より、電通PRの代表として北京に赴任し、「電通藍標」の副総経理を務める。2013年、電通四代目社長・吉田秀雄が遺した仕事の掟・十ヶ条「電通鬼十則」を翻訳編集し、出版する。

 上記の経歴を見ると、鄭さんが経験豊富なキャリアウーマンであることが分かる。鄭さんは、日米の企業で長年働いた経験があるだけでなく、日本の大学に留学する前には北京で3年仕事に就いていた。まさに、中・日・米三国の企業文化に揉まれた国際キャリアウーマンだ。また、鄭さんは日本で戦略PRプランナーの資格を取った初の外国人で、中国の消費者やメディア、日本の企業などに対する理解を武器に、多くの日本企業の中国業務展開をサポートしてきた。


鄭燕さん


 インタビューの内容:

 ■日本語を2年勉強して日系企業に入社

 記者:いつ日本語の勉強を始めましたか?日本語を勉強している過程で最も印象深かったことは何ですか?

 鄭さん:89年4月から、「北京日本語講習所」という日本語学校で勉強を始めました。同学校で2年勉強し、卒業するまでに日本語能力試験2級を取得しました。当時、出費を減らすために、日本語学校でアルバイトの後方勤務職員として、配車や授業の手配、来賓の接待なども行っていました。そのため、そこで日本語だけでなく、人との接し方なども学ぶことができ、社会経験を積むことができました。

 当時、日本人教師が担当の授業が毎週あったのを覚えています。普通の語学学校には、日本人教師があまりいません。「北京日本語講習所」は普通の学校と違い、北京周報社や人民日報社、日本の周恩来記念会などが共同で創設した学校です。入学式に、当時の日本首相も含むたくさんの日本の政府の要人から花が送られてきたほか、北京テレビ局、中国中央テレビ(CCTV)、複数の新聞社などが報道したのを覚えています。そのほか、日本語の勉強を始めた1年目にありがたく奨学金をもらった、故郷を離れて北京で学習する私にとってはとても貴重でした。

 2年間の日本語の授業が終わった後、日本人教師から、北京の中日合弁ホテルーー天橋賓館が、日本語のできる従業員を募集していることを教えてもらいました。それで、すぐに応募して、順調に採用してもらいました。フロントを担当して1カ月もたたない時に、私の面接を担当した日本人総経理の秘書が、日本に留学することになったため、私が総経理の手伝いをしながら、新しい秘書を探すことになりました。結局総経理が満足する人材が半年たっても見つからなかったため、総経理指名で私が秘書と通訳を担当することになりました。元々北京出身学歴大学以上しかも5年以上経験あることが条件だった総経理の通訳兼秘書は思ったよりたいへんな仕事でした。通訳翻訳だけでなく、大量のレポートも作成しなければなりませんし、政府要人との面会にも同席したりしました。最初私が書いた日本語のレポートは、総経理によって跡形がないほど修正されていました。その後も書いては修正、また書いて修正されという過程を経て、少しずつこの仕事をこなすことができるようになりました。総経理オフィスで2年半ほど働いた後、3つのフロントサービス部署のクオリティ統括の仕事が任され、当時のそのホテルでは、最も若い部長クラスの管理職員でした。ホテルに住み、会社が家みたいなものでした。しかし日本留学の夢が捨てられない、会社にも日本での研修制度があって強く慰留されました。それでも、将来を考えて、留学することにしました。元上司が日本での身元保証人になってくれて、奥さんとともに私の最も尊敬する日本の恩人です。
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