日産がなぜ自分にこれほど多くの罪を着せるのかについて、ゴーン氏は「陰謀」と総括し、2つの主な原因を挙げた。「1つは、日産の業績が2017年から下がり始め、日産は自分がその責任を追うべきと考えたことだ。しかしこれらはすべて西川広人氏が招いたことであって、自分の責任ではない。西川氏は17年4月に日産のCEOに就任し、自分は16年10月以降は日産の経営から身を引き、仕事の重点を三菱自動車に置くようになった」という。
ゴーン氏は、「もう1つは、日産とルノーのアライアンス内部には早くからいざこざが生じていたことだ。フランス側はルノーの日産株保有率の引き上げを願ったが、日本側はこれを快く思わず、日産はフランス人にあれこれ指図されたくないと考え、私を追い出すことにした」と続けた。言外に、自分は仏日の争いの犠牲者だと匂わせた。
説得力のある反論を行ったゴーン氏だが、涙声での訴えも少なくなかった。「独房に拘束されていた日々に、これまで『救世主』だと考えてきた国に対して絶望した」という。
瓦解?
不公平感、憤り、怨嗟といった感情だけでなく、ゴーン氏は自分が心血を注ぎ汗を流して作り上げたアライアンスについて、心の中に納得できないものを抱えている。
独房にいるときも、ゴーン氏はアライアンスの動きをチェックすることを忘れなかった。逮捕された後は、日産の損失額は一日あたり4千万ドルに達し、ルノーの株価も35%下落した。拘留期間中に、ルノー、日産、三菱の3社に限って時価総額が減少したという。
ゴーン氏は、「自分は3社の将来の戦略について元々非常にはっきりした考えをもっていたが、今やアライアンスは瓦解してしまい、利益も低下し、彼らが大きなチャンスをむざむざ失うのを見ているしかなかった」と述べた。
ゴーン氏の元々の計画によると、このアライアンスの目標は世界一の自動車メーカーになることだった。17年にはアライアンスを主導してフィアット・クライスラー・オートモービルズ(FCA)との経営統合を進めようとした。これが成功していたら、同アライアンスは世界最大の自動車メーカーへと飛躍できただろう。