■2種類の太平燕はどのような起源があるのか?
日本のメディアによると、太平燕は、福州出身の華僑が日本に伝えたという。2010年に日本のメディアが報道したところによると、熊本県では太平燕について、「酒の酔い覚ましに、太平燕を食べるといい。太平燕は春雨の野菜スープで、あっさりして食べやすく、熊本県人の『郷土の味』として親しまれている。また太平燕は地元の学校給食の献立にも取り入れられている」という。
報道では、「太平燕」は日本で生み出されたのではなく、熊本県で中華料理店を経営していた趙慶餘さん(1973年没)が日本に伝えたものだと強調していた。趙さんは福建省福州市出身で16歳の時に単身日本に移り住んだ。福州市の春節(旧正月)や結婚式で出される料理、太平燕に改良を加え、レストランのメニューに出したところ、他の中華料理店にも伝わっていったという。その後、趙さんは太平燕の作り方を学校の調理師に伝えたり、日本の高校の家庭科の授業で教えたりしたことから、太平燕は人々の家庭の食卓にも広がっていった。
現在、熊本市は「太平燕」を「辛子蓮根」や「馬刺し」と並ぶ熊本の3大郷土料理として売り出しており、太平燕は日本国内でも有名になりつつある。
福州市の飲食業協会の郭仁憲会長は、「福州における現在の太平燕はさまざまな具材を入れたスープの形となっているが、伝統的な福州の太平燕は扁肉燕とアヒルの卵だけが入ったものが標準的な太平燕と呼ばれる」と説明した。また、日本の太平燕と福州の太平燕の起源については、研究したことはないという。