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日本人の「英語恐怖症」 日本人の国民性が英語習得の障害に?

人民網日本語版 2015年02月11日17:05

中国で大ヒットした張元(チャン・ユアン)監督のドキュメンタリー映画「クレイジー・イングリッシュ」(1999年)が公開された当初、この話題は日本のメディアに何度も取り上げられた。理由は、劇中で日本人の英語力について触れられているからだ。映画の中で、日本人の英語力についてどのように言及されているのか?それは、次の通りだ。「日本人の英語は1番ひどい。早口な上、日本語のなまりがひどくて、まったく聞き取れない。だから、(中国人は)英語をよく勉強して、日本へ行って稼げばいい」。完全に日本人は馬鹿にされている。しかし、このような言い方は全く科学的根拠に基づいていないもので、日本人にとっては非常に複雑な気持ちになる。人民網が伝えた。

確かに、日本人は英語が不得意だ。しかし、英語を習得できないわけではない。それどころか、日本は英語教育の発展に力を注いでいるし、日本人自身も英語の勉強には熱心だ。

日本人は、義務教育の6年間、さらに大学入学後の2年間、英語を勉強する。同時に、大学入試の英語の難易度も非常に高い。もし小説や論説などの難易度の高い英語がわからなければ、理想の大学に合格することは難しい。しかし、非常に難しい論文を読破したとしても、英語の会話能力は依然として低いままだ。恐らく英文の読解力は米国の中・高生の水準に達していても、一旦会話をし始めると、あっという間に小学生のレベルに下がってしまう。


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コメント

最新コメント

中川 清三   2015-02-23125.53.124.*
日本人の英語力のなさはあまりにも有名だ、日本人が英語を不得意とする原因は、日本語だけで世界のあらゆる言語を翻訳できることにある。2008年ノーベル物理学賞を受賞した、京都産業大学の益川教授はストックホルムの授賞式会場で挨拶をしたときに、真っ先に「私は英語が話せませんので日本語で失礼します」とスピーチしたら、会場の人々はびっくりして「日本人はすごい、英語話せなくてもノーベル賞がとれるのか」と二重の驚きをしたそうだ。中国語はどうかわからないが、アジアの多くの国では小中学校の授業を自国語ではなく英語を使っている国が多い。理由は自国語では英語表記の文章をそのまま表現できなく、子供達に正確な伝授ができないことで、英語で授業しているらしい。日本は明治時代に東大の教授や学生たちが、ありとあらゆる英語表記の文章や単語を日本語に翻訳して、どんなに難しい英語でも日本語で表記できるようになったことが、日本人が一番英語ができない。と言われているゆえんである。従って「日本語で考える習慣」が多い日本の研究者は難しいノーベル賞をいとも簡単にとっているのだ。英語が下手な日本人と日本人を蔑んだことを書くより、中国人がノーベル賞受賞者数で日本に追いつけ追い越せを考えた方がいいと思うが、いかがかな。以上。
fragrans6   2015-02-12126.48.57.*
貴紙の論旨は概ね納得。でも小生がかねてから思っていることを付け加えます。先ず、一般の日本人は人や書籍などを通して英語に触れる機会が滅多にない事。特に出版文化が発達していて翻訳本が次々と出版されるので生の英文の本を買う必要がありません。次に、日本語はいったん習得すると非常に便利。漢字・ひらかな・カタカナ、それにルビなどをフルに活用できるため視覚的にも理解しやすいのです。中国や韓国など大変だなと思います。
空又 覚造   2015-02-11115.135.186.*
 面白く『日本人の「英語恐怖症」 日本人の国民性が英語習得の障害に?』を拝読しました。日本人の完璧主義,恥の文化(菊と刀)などが日本人の英語学習を阻害している面があると思います。 しかし小生が考える「阻害」は別の物です。例えば,英語を使うことは日常的ではありません。日本語で日本国津々浦々,十分通じます。方言があって通じない言葉もありますが,標準的な日本語で十分意思疎通可能です。つまり,特定のNGO関係者,学者や外交官以外は英語を日常的に使わないので,英語が上達しないのです(必要は成功の母です)。 阻害の第2は,日本語を習得する上で,英語学習を困難にする面があることです。それは些末主義とか,完璧主義とかという面ばかりでなく,曖昧な日本語表現が日本人にピッタリくるということです。例えば, 「日本人の見る北京の10年の変化」。 これを英語に直せば,The change in Beijin for a decade Japanese have seen or experienced. となりましょうが,こう言う表現は日本人に馴染まないのです。曖昧さがないのです。曖昧さとは「日本人の見る」が「北京」に掛かるのか,「変化」に掛かるのかよく分からないことです。しかし何となく,曖昧に,日本人はこの片言の意味を理解して満足しているのです。 英語教育が小学校低学年から導入され,美国の言葉を理解するように日本国ではなりそうですが,発音上の問題もあり,日本人の英語習得は困難を極めると思います。