今からちょうど100年前、人類は夢見るがごとく世界大戦の深淵へと滑り落ちていった。戦争はいかに終わったかを語るよりも、なぜ始まったかを語ることを忘れてはならない。欧州はすでに和解を実現した。現在のアジアには欧州にまさる反省が迫られている。新華網が伝えた。
日本の安倍首相は中日関係を第1次世界大戦前夜に例えたが、これは戦争を避けるためだという。侵略の歴史を謝罪することを拒んでいるのも友好のためだという。靖国神社の参拝も平和のため、集団的自衛権の解禁も安全のためらしい。理解に苦しむ、人を不安にさせる態度と言わざるを得ない。
先人による歴史の悲劇を防ぐことはできない。だが現代と後世のためには賢明な選択をしなければならない。平和を実現するためにも、私たちは安倍首相に次の10の質問をしたい。
▽歴史について
(1)首相は、「侵略」の定義は学術界でも世界でも定まっておらず、この問題に対する結論は視点によって異なると主張している。だが日本は第1次世界大戦後、青島を占領し、1931年には中国東北部に侵入した。1937年からは全面的に中国に侵入し、100万の兵力を中国に投入し、南京大虐殺だけで30万の中国人の命を奪った。どの角度から言えば、これが侵略戦争でないと言えるのか。
(2)1945年8月15日、日本の天皇裕仁は「終戦の詔勅」を宣言し、無条件降伏を求めるポツダム宣言を受け入れた。ポツダム宣言は、「日本国国民ヲ欺瞞シ之ヲシテ世界征服ノ挙ニ出ヅルノ過誤ヲ犯サシメタル者ノ権力及勢力ハ永久ニ除去セラレザルベカラズ」とし、「カイロ宣言」の条項を履行することを求めている。天皇の詔書並びに1千万人の命と引き換えに得られた「カイロ宣言」と「ポツダム宣言」は現在でも有効ではないのか。
(3)1972年の中日国交正常化において両国が発表した共同声明は、「日本側は、過去において日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」と明記している。だが日本の検定済教科書においては、「慰安婦」や細菌戦、南京大虐殺などの史実についての記載が曖昧で、事実をねじ曲げた表現もある。このような「反省」は歴史に責任を負うものと言えるのか。
▽現在について
(4)1978年、東條英機ら14人の日本人A級戦犯が靖国神社に祀られた。日本の天皇はこれ以降、参拝を行っていない。だが首相は執拗に参拝を続け、政権の歩みを亡霊に「報告」した。安倍首相は、政治的個人の利益と人類の良知とのどちらに立つのか。靖国参拝で「英霊」に不戦を誓い、平和を願うよりも、世界の人々の前でこれを誓うべきではないのか。
(5)日本は絶えず「中国脅威論」をあおり、中国が「他国の領土を掠奪する」のを阻止すると公言している。隣国をこれほど大っぴらに攻撃するその態度には驚きを禁じ得ない。自らの歴史さえも精算できていない国が、中国に責任の負い方を語る資格があるのか。