野田政権が幕を閉じる前に「ポスト小泉」の日本政治の特徴を見る (2)
(2)「新たな期待」をつくり上げ続けるメディア
両党の首相に共通する特徴は、みな高い支持率と本流メディアの一面の歓呼の声の中で誕生するが、低支持率とメディアの嘲りの中で首相官邸を後にするということだ。なぜこうなるのか?1つの重要な原因は、日本の大衆メディアは客観的な報道と世論による監督の任務を担っていると言うよりも、政局と歩調を合わせ、絶えず新たな幻想と期待をつくり出す役割を演じていると言った方がいいからだ。
特に民主党が勝利し、「政権交代」を果たした時には、1993年の細川護煕「非自民連立政権」誕生時のように、日本の大衆メディアは再び「新党」「新風」「新たな息吹」といった称賛の嵐を起こし、「政治の地殻大変動」「政治の分水嶺」といったセンセーショナルな言葉が躍った。だが箱を開けてみれば「民主」と「自民」になんら違いはなかった。特に野田内閣の時期には両者の違いはゼロに近く、いわゆる「二大保守政党救国論」は完全に破綻した。
だが日本の本流メディアは今また政局と歩調を合わせて新党、新旧の政界のスター、政客の必要に迎合し、「第三極期待論」や「三大(保守)政党論」などの新たな代物を売り込み始めた。
過去6年間に自民党陣営は相次いで3人の首相を表舞台に登場させた。最初に「良質な政治遺伝子」を持ち「天命で就任した天子」こと安倍晋三氏(母方の祖父はA級戦犯で「昭和の妖怪」と称される岸信介元首相、父は安倍晋太郎元外相)。次に福田赳夫元首相の長男で、穏健派、調整型とされた福田康夫氏。最後に名門出身の世襲議員、麻生太郎氏(高祖父は明治時代の初代内務大臣・大久保利通、母方の祖父は戦後の著名な首相の吉田茂、岳父は鈴木善幸元首相、父は衆議院議員を務めた麻生太賀吉)だ。