これ以外にも、脚本家という仕事にはある特殊性がつきまとうと向井さんは語る。
――脚本というのは、監督とか、俳優とか、プロデューサーとこまめに打ち合わせをして、それを受けて、原稿を変えないといけません。他人の意見を聞くことで、自分のプライドを傷つけられることもあります。最初は他の人が言っていることが間違っていると思うんですけど、でも実はそうじゃないのかもしれないと思ったりもする。そこは100%聞くのもよくないし、見極め方も客観的な力が必要です。
それは何で磨くかというと、やるしかない。やり続けるしかない。誰かに教わるよりも、経験して、失敗して、方向転換をして、ちょっとづつ、この人本音言っているなとか、この人はキャストをくどきたいから言ってるなとかを見極めながらやらなければならない。自分も疑いつつ、相手も疑いつつ、映画にとって、何が最善の道なのかを探っていく感覚が1番必要です。映画の脚本には常にこのような創作と製作の間に立たされる状況がつきまといます。
それにしても、言葉を扱うプロである脚本家の向井さんが、まったく言葉が通じない世界にやって来た。これは一体どんな体験なのだろうか?
――正直、北京に着いてからの3カ月間は、耐えられないと思うことのほうが多かったですね。こんなにも自分が弱いとは思っていませんでした。
僕にとって言葉はとても重要なもの。ただもともと自分で話すよりも、人の話を聞くほうが好きなんです。でも、この3カ月間は相手が何を言っているのかわからないだけでなく、中国人全員が怒っているように感じて、正直外に出るのも億劫というか、怖いなと感じることもありました。
それが、3カ月過ぎたあたりから、同じように外で中国語を聞いても、何を言っているのか一部聞き取れるようになったんです。もちろん、それはそれで嬉しい反面、こんなにも自分だけと向き合えるかけがえのない時間がもう終わってしまったんだという事実に気付き、どこか残念な気もしました。
自分が何者でもなくなる体験って簡単にできることではないですよね。正直もう37歳なのにしんどいなと思う反面、脚本家としてはすごく貴重だなとも思ってます。
現在、向井さんは、午前中は中国語の授業を受け、昼から夕方までは執筆活動、その後気が向いたら散歩をするというシンプルな生活を送っている。こうした北京での暮らしの中で、向井さんは自身や山下監督の創作にとって大切なものを再認識したと語る。
――いっぱい同期がいる中で、山下とは1番気が合ったんです。2人とも相当な恥かしがり屋でシャイ。くさいことが嫌いで、感情とか出すのは駄目なんです。愛しているという言葉も出したくないような。
あと、悪い意味ではなくて、よく人の癖とか見て笑ったりして、笑いのポイントが似てたんですよね。この笑いのポイントっていうのは山下と一緒にやるときはすごく大事でした。要は、そういうことってあるあるあるというような。
例えば、僕たちの映画のシーンで使ったのは、4人で定食屋に食べに行って、頼んだものが1人来て、2人来て、3人来ても、最後の1人が来ない。そういう時って、食べ物来てても食べられないじゃないですか。忘れられているのかもしれない、でも店員に聞くのもあれだしと、みんなが気を使いあって、どうしていいかわからないという状況ってありますよね。
でもこれって、外国人にしてみれば、1人だけ来ないんだから、みんなで遅いぞって言えば済むじゃないかって思いますよね。中国人でも絶対に言うでしょう。
そう考えると、僕らが作っている映画って思いっきり日本的なんです。日本人は笑えるんだけど、海外の人が見たら、なんで笑っているのかわからない。
そういう意味で、こっちに来て実感したのは、自分たちが好きなものって日本人気質を活かした非常に日本的な笑いだということです。日本人って本当のことを言わないじゃないですか。周りは全員そのことを知っているのに、表には出さない。そういった関係性の面白さですよね。そういう日本人的なおかしみを感じて、それを物語にしているんだということを再認識しました。