「出場するからには、優勝を目指す」。日本代表チームの本田圭佑は、ワールドカップ2014ブラジル大会前にこう豪語していた。ザッケロー二監督も、「ブラジル大会で世界を驚かせたい」と抱負を語り、本田同様、強い野心を見せていた。しかし、グループリーグのたった2試合が終わった段階で、日本の優勝の夢は脆くも崩れ、「アジアの光」はW杯の舞台から消え去ろうとしている。人民網が伝えた。
今回の日本代表チームは「史上最強チーム」と見なされていた。この裏づけとして、欧州リーグで活躍するスター選手12人の顔ぶれのほか、2013年のコンフェデレーションズカップでの素晴らしい戦いぶりがあった。イタリア、オランダ、ベルギーといった世界の強豪国に対して決して引けを取らない戦いぶりを見せたことは、日本の野心を大いに後押し、長年磨きをかけてきた技術がW杯で集大成を結ぶ時を待つだけだった。そして、この輝かしい自信は多くの人に美しい幻想を見せた。5回目となるW杯出場を決めた日本は、アジアのトップであるだけでなく、世界のトップクラス入りを狙える勢いがあるはずだと。
しかし、グループリーグの2試合で、「サムライブルー」は冷や水を浴びせられた。初戦のコートジボワール戦で2分間の逆転劇を許したことを運が悪かったせいにしたとしても、W杯出場を決めた欧州国の中で最も弱いギリシャに対し、11人対10人という数的有利を活かせず1ゴールも奪えなかったことで、日本チームが「偽りの強豪チーム」であったことが露呈してしまったといえるだろう。日本はボールを支配したが、ギリシャの勇士たちの堅守に阻まれ、1ゴールも奪えなかった。これでは74%のボール保持率を誇ったとしても、何の意味もない。どんなチームであっても、前評判の実力を勝利の担保にすることはできない。日本のいわゆるエースと呼ばれる選手たちの評価はいったいどのぐらい水増しされていたのだろうか?
もちろん、この20年間で日本サッカーが大きく進歩したことは疑うべくもない。青少年育成プロジェクトや、整備されたリーグ戦のシステム、良好なサッカー環境などによって、「キャプテン翼」を見て育った少年たちが、今やトップリーグの強豪チームで活躍するサッカースターへと成長した。98年に初めてW杯に出場を果たしてから、日本はすでに2回ベスト16に進出し、ブラジルスタイルの模倣から「日本独自のサッカースタイル」の確立を目指すようになった。そして実際、現在の洗練されたチームの実力はアジアのライバル国を大きく引き離している。中国人が近隣国から徐々に引き離されていく状況を嘆く一方、日本人は世界との距離をますます狭めていった。そして、ワールドカップ2011ドイツ大会でサッカー日本女子が世界の頂点に上り詰めたことによって、日本人はさらに、「サッカー日本男子がW杯で優勝するのも夢ではない」と信じるようになった。
恐らく一連の国際Aマッチでの戦いぶりが、相手チームの目を惑わせ、日本チームの評価を盲目的に引き上げてきたのだろう。実際に、W杯の決戦になって初めて、自惚れたサムライブルーたちは自分たちの高い評価が水増しされたものだという残酷な現実に気付くことになる。グループCに属する日本の対戦相手は、欧州、アフリカ、南米からなる3カ国。フィジカル、技術、精神力をかけ、輝けるスター選手同士が全力で戦いあうW杯において、日本はいったいどの部分に絶対的な優位性があるというのか?唯一、初戦敗戦国同士ということで、勝てる可能性が大きいギリシャ戦においても、何度もゴールを狙うものの得点が決まらない。大会前にメディアで報道された、「攻撃は得意だが、守備が弱い」という評価が、実戦では、「攻めきれない上に、守りきれない」という評価に変わってしまった。「日本のW杯優勝までの距離は、まるで富士山とエベレストの差ほどある」という解説者の言葉どおり、希望に満ちた理想は最終的に根元から完全に折れてしまった。
アジアサッカーは確かに急速に発展しつつあり、その中でも日本は大きな潜在能力を持っている。しかし、今となっては、世界トップクラスの強豪国との距離を正しく見つめなおす必要がある。サッカー文化や実力は強豪チームに何人選手が所属しているかによって養われるものではない。また、数試合の国際Aマッチで強豪国と対等に戦ったからといって判断できるものでもない。10年南アフリカ大会で、初めて自国開催以外のW杯でベスト16入りを果たした日本チームの的を得た戦術と手堅いスタイルは、相手国との実力差を客観的に判断した上でなされたものだった。欧州リーグで活躍する選手たちからなる現在の日本代表チームは成熟期を迎えていたはずにもかかわらず、想像していたほど強くなかった。欧州サッカー界であれば、二流のクラスにも入れないだろう。「優勝する」という大言壮語が、一勝さえできないで終わるのなら、日本は自ら反省しなければならない。(編集MZ)
「人民網日本語版」2014年6月23日