検証・釣魚島領有権問題に関する中日間の「棚上げ合意」 (3)
二、「中日平和友好条約」交渉の際、「棚上げ方式」再確認
1978年4月12日、約100隻の中国漁船が釣魚島海域に接近する事件が発生し、日本に大激震を走らせた。釣魚島問題がクローズアップされている中で、4月19日、園田直外相は、国会におけるこの事件に関する質疑で、「共同声明の線に回復することを考えている」との基本姿勢を明らかにした。4月20日、大平正芳幹事長は、京都で記者会見を行い、「この問題は日中双方が(領土問題に)『触れない』という仕方で決着をつけることが大局的な国益を踏まえた現実的な解決方法だ」との方針を明瞭に打ち出した。更に、「政治的決着以外に方法はない。枝ぶりも大事だが、幹がそれ以上に大事である。この問題で日中関係を損なうようなことがあってはならない。(中略)この問題をもてあそんではならない」と強調した上で、「尖閣列島の議論は日中共同声明の線(尖閣列島は棚上げとする)に戻す」と言明した」のである。4月21日、大平幹事長は、自民党総務会で、「?尖閣諸島に関しては、日中両国が領有権を主張している以上、双方が話し合いにより、大局的な立場から処理すべきだ。?具体的には、双方が領有権には触れないようにしようという形で決着をつけるのが望ましい」との見解を示した。同日付の『読売新聞』は、「『尖閣』で首相の大局的な判断を」と題する社説で「尖閣諸島の領有権問題は、さる四十七年の日中国交正常化の際に、言わば「触れないでおこう」方式で処理されてきた」と記し、「棚上げ方式」は日本のメディアの共通認識でもあると看取される。4月27日、福田赳夫首相は大平幹事長と会談し、この問題を外交処理する方針で一致した。
1978年8月10日、トウ小平副総理は、中日平和友好条約交渉のため訪中した園田外相との会談の席上で、「この問題について日本国の外相としてひとこと言わなければならない。尖閣列島に関して、日本の立場はご存知だと思う。このような偶発事件が起こらないように希望している」との要望に対し、「私にもひとこと言わせてもらいたい。このような問題を脇に置いて我々の世代は問題の解決方法を見つけていないが、我々の次の世代、その次の世代は、必ず解決方法を見つけるはずである」との基本姿勢を明らかにした上で、「いままで通り、20年でも30年でも放っておこう」と返答した。これに対し、園田外相が「閣下、もうそれ以上言わないでください」と応じた。園田外相は後に、「藪をつついて蛇を出す結果になってしまっては元も子もない」と回想している。
10月25日、「中日平和友好条約」の批准書交換式に出席のため訪日中のトウ副総理は、福田赳夫首相との第2回首脳会談で、「もう一点言っておきたいことがある。両国間には色々な問題がある。例えば、中国では釣魚島、日本では尖閣諸島と呼んでいる問題がある。こういうことは、今回のような会談の席上に持ち出さなくても良い問題である。園田外務大臣にも北京で述べたが、我々の世代では知恵が足りなくて解決できないかもしれないが、次の世代は、我々よりももっと知恵があり、この問題を解決できるだろう。この問題は大局から見ることが必要だ」と述べた。これに対し、福田首相は、「トウ小平副総理閣下と、世界の問題、日中両国間の問題について率直に意見交換し合えて、非常に嬉しい。感謝する。このように両国関係は発展させて行けるであろう。大切な事は、日中平和友好条約の精神を守り抜くことである」と返答した。かくして、「棚上げ方式」は、中日首脳会談で再確認された。
同日、トウ小平は、首脳会談の成果を踏まえ、日本記者クラブで行われた会見で、持論の「棚上げ論」を再び披瀝した。「尖閣諸島を中国では釣魚島と呼ぶ。呼び名からして違う。確かにこの問題については双方に食い違いがある。国交正常化の際、双方はこれに触れないと約束した。今回、平和友好条約交渉の際も同じくこの問題に触れないことで一致した。中国人の知恵からして、こういう方法しか考えられない。というのは、この問題に触れると、はっきり言えなくなる。確かに、一部の人はこういう問題を借りて中日関係に水をさしたがっている。だから両国交渉の際は、この問題を避けるがいいと思う。こういう問題は一時棚上げしても構わないと思う。(中略)次の世代は我々よりもっと知恵があろう。その時は皆が受け入れられるいい解決方法を見いだせるだろう」という周知の名言を残した。トウ小平の釣魚島問題に関する発言について、日本外務省は極秘文書の中で、「トウ副総理は、尖閣諸島について日本側が持ち出さなかったにも拘わらず、『こういう問題はここで取り上げない方がよいと思う』旨述べた。(中略)なお、記者会見における発言は、『日中友好を望まないものが、この問題を取り上げようとするのであった、次の世代に任せればよい』との趣旨を述べ、中国側として示し得る精一杯の態度を示したものと言えよう」と評している。
1979年5月31、『読売新聞』は、「尖閣問題を紛争のタネにするな」と題する社説で、「尖閣諸島の領有権問題は、1972年の国交正常化の時も、昨年夏の日中平和友好条約の調印の際にも問題になったが、いわゆる『触れないでおこう』方式で処理されてきた。つまり、日中双方とも領土主権を主張し、現実に論争が“存在”することを認めながら、この問題を留保し、将来の解決に待つことで日中政府間の了解がついた」と総括している。