第二に、1990年以降、特に21世紀に入ってから、日本の歴史に対する反省は全く進歩がなく、かえって後退している。この国が全体的に右傾化し、保守化しているのは明白で、懸念せずにいられない。一般の日本人は政治に無関心か、あるいは面倒を嫌って、極右勢力と関わりたくないと思っている。私は以前東京大学で中日関係に関する講演を行った時、かなり強硬な口調で意見を述べたが反対を唱える者はいなかった。その後、右翼勢力による破壊行為を抑止するために主催者がキャンパスにポスターを掲示しなかったことを知った。まして、報道機関の保守化で、若い世代はアジアの民衆がこうむった苦難の歴史を知ることは極めて少ない。正確な歴史認識など育つわけがない。
海外からの日本に対する懸念は、安倍政権がまさに一つ一つ検証を経ているところの憲法修正から歴史に対する姿勢まで、安倍政権は居丈高な姿勢を貫いていることに向けられている。安倍首相がそのような態度を取るのには、国内外に二つの有利な要因がある。国内は上記でのべたように、右傾化による民意の支持を取り付けるという意味であり、国際的には米国のアジア回帰に合わせているのだ。
中国の台頭によって、米国はアジア回帰を始め、中国、米国、日本の関係に変化を及ぼした。これまで、米国は中国と日本のバランスをもてあそんできたが、現在はさらに日本のコントロールを「副次的な対立」とみなす傾向を強めて、中国抑止を「主要な対立」とみなそうとしている。
オリバー・ストーン監督のように日米同盟を批判する人は米国では少数で、主流ではない。米国は日本という猛虎を檻から解き放ち、中国に対抗させたいのだ。
東アジア史からみれば、中国と日本の両国は二つの大国として並立して対等な交流をしていた歴史はみえず、古代では中国は強大で、日本は弱小であり、日本は素直に中国に学んでいた。近現代においては、日本は強大化し中国は弱体化して、日本は中国を侵略して中国に大きな災禍をもたらした。今や、GDPなどの数値面ではすでに中国は日本を超えたが、科学技術、教育などの分野ではまだ日本の後塵を拝している。両国にはそれぞれの長所があるが、日本はこれを良しとせず「中国脅威論」を騒ぎ立てて、追い越されたことを受け入れられない。将来的に中国が安定した発展を続ければ、過去に米国が英国を追い越したように総体的に日本を超えることは必然だ。
もっといえば、中国と日本の紛争は時間的に見れば中国に味方しており、中国は一時の勢いに任せて日本と争う必要はない。戦争というものは何のメリットももたらさないし、何の問題解決もなしえない。昨今の世界情勢を鑑みても平和的な発展こそがお互いに利益をもたらし、各国の人々に実利をもたらすのだ。
歴史を追走し、反省することは、古傷の恨みを呼び起こすためではなく、歴史の過ちを繰り返さないためだ。
歴史の過ちを繰り返さないためにはどうしたらよいのか。これにはお互いの努力が必要だ。日本の有識者は反戦、平和の声を叫び続け、憲法修正に反対し、政府にプレッシャーをかける重い責任を担うだけでなく、若い世代を教育していかなければならない。国際社会のオリバー・ストーン監督のような見識ある人々は日本に歴史を反省するよう促していく必要がある。