小野寺氏「中国で日本語教育の質的な変化がある」 (2)
-----中国人学生の日本語論文の特徴や問題はあるか。
論文コンクールが今、中国の日本語教育界の中では、権威のあるコンクールにおかげさまで順調に発展することができました。そうすると、その中で問題も出てきているわけです。どういうことかというと、入賞することが、入賞校、論文作成者、論文を指導した先生の名誉につながる、もしくは昇進につながることになってきますと、やはり受賞のために、どう論文を書くかという傾向と対策というようなことが出てきて、それはやはり問題かなと。
私の論文コンクールは運営の趣旨が普通のコンクールとは違います。というのは、普通のコンクールは受賞者を懸賞するというのが目的なわけです。我々のコンクールはこのコンクールを通じて、中国の日本語教育の現状と課題を把握して、それを克服するための資料を得ると。したがって、いま学会の会長をしている徐一平先生の言を借りれば、このコンクールは受賞者を大事にしないと。確かにあまり大事にしません。このコンクールの主人公は日本語を学んでいるすべての学生と教師です。受賞者が主人公ではないと。ある面でいうと、受賞者は刺身のつまです。というふうに考えています。
-----参加すること、論文を執筆する過程自体に意味があると。
最初にこのコンクールを主催するときに、友人の新華社の記者が聞いたんですね。このコンクールで入賞したメリットは何ですかと。私は優秀な論文を書くことによって、賢くなって、自分自身で人生を切り開くことができると答えました。入賞したら何かご褒美が出るというようなコンクールではない、という話をした場合に、それでは中国の学生は応募しないのではないかという声もあります。メリットがないと。ですから何がメリットかということに対する理解というのもそれぞれあるなと思っております。
-----優秀者の卒業後の進路はどのような形で?
すべて入賞者を把握しているというわけではないのですが、最近の言語部門と文学部門の入賞者はたとえば東大の大学院に進学にするなど、アカデミックな部分で、順調な成果を挙げていると思います。