「風立ちぬ」 子供たちを置き去りにした宮崎駿監督の暴走 (2)
■現代日本との同時代性
堀辰雄も、同様の精神の持ち主だ。「サナトリウム文学(当時の日本の結核療養所を背景に創作された文学)は軟弱と思われているが、本当にそうだろうか?戦争について何も書かなかった彼らは、実はぎりぎりのところでレジスタンスをした人なのではないか?私は多くの時間を費やして、あの時代の優れた二人を混ぜ合わせて、二郎という主人公を創造した」。実在の人物をモデルにすることは、宮崎監督のこれまでの作品とは表現手法が大きく異なることを意味し、リアルな描写が目立つ。空想的なキャラクターが登場しないのは、まさに「ファンタジーは制作せず、この変動期にどう生きていくべきかを探し求める」という宮崎監督の意識の表れだ。
宮崎監督は「風の谷のナウシカ」(文明崩壊後の世界を描いた)の制作時には「本来、未来の世界を予想していた」が、20世紀末を経て21世紀に入ると「作品が時代に追いついたことに気づいた」と語る。2008年の「崖の上のポニョ」には津波と水没した世界が登場したが、その3年後に東日本大震災が発生した。「時代に追いつかれる感覚がますます強まり、ついに『風立ちぬ』で同時代性が実現された」。宮崎監督は、作品の中の日本の大正末〜昭和初期は、現在の日本と「一定の同時代性(相似)を持つ」と指摘する。「だが私は、ドキュメンタリー映画を現場で撮影するように私の表現したいものを示したかったわけではない」。実際、「風立ちぬ」には関東大震災で人々が混乱に陥る描写はあるが、堀越二郎の代名詞となった「零戦」の戦闘シーンは出てこない。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年8月8日