児童デーはたくさん人にとって子ども時代の大切な記憶だ。楽しい一日を過ごしたというだけでなく、親が用意してくれたこの日のためのプレゼントはいつまでもうれしかった。年代ごとにこの日にもらったプレゼントや一日の過ごし方は異なるが、楽しかったことはみんな共通だ。
50後(1950年代生まれ)
1950年の児童デーは、中華人民共和国が成立してから初めての児童デーだった。1950年6月1日、毛沢東主席は自ら筆を執って「児童デーおめでとう」としたためた。
当時、人々の生活水準は高くなかったが、子ども達にとってこの日は多くの楽しみに満ちた一日だった。
60後(1960年代生まれ)
1960年代の子ども達にとって児童デーは「おしゃれをする日」だった。男の子なら緑色の軍コート、女の子なら手先の器用なママ達が花柄の布地で趣向を凝らした服を作ったり、服のところどころに小花の刺繍を刺したりした。母親というものは、物が豊富でない時代にも娘には細やかな心遣いでおしゃれをする楽しさを味わわせることができるものだ。
当時はどこの家庭も豊かではなく、そんな時代でも児童デーのプレゼントをもらえるのは本当に幸せなことだった。今から見ればたいしたことのない鉄の輪やビー玉やコマでも、子ども達はワクワクした気持ちで夢中で遊んでいた。
70後(1970年代生まれ)
1970年代になると、児童デーのお祝いイベントがますます豊富になった。遠足は多くの学校の定例行事で、子ども達は白いシャツ、青いズボン、白い運動靴、首には鮮やかな赤いスカーフを巻き、先生に連れられて公園や植物園、動物園に出かけた。
70年代の中期から後期にかけては、人々の暮らしが少しずつ豊かになり、各地では子ども達の着る服も、より多彩なものへと変化し始め、ボーダーシャツ、お人形風シャツ、パフスリーブのワンピースなどを着て、児童デーの子ども達はより生き生きとして見えた。
物質的な生活水準が向上するにつれ、70後の子ども達は60後の子ども達よりもさらに幸せになり、もらえるプレゼントもより素晴らしいものになっていった。万年筆、筆入れなど、60後の子どもなら、ぜいたく品と思ったに違いない。
80後(1980年代生まれ)
1980年代になると、中国は改革開放を迎え、中国経済は飛躍的発展の軌道に乗り、人々の生活水準もどんどん向上した。80年代の子ども達は同時代の中国の発展ぶりをその目で見て、中国と一緒に成長した世代だ。彼らの児童デーの記憶の多くは、新しい服、ゲーム機、公園、レストラン、芸術イベントなどと結びついている。
どの子どもも自分の小遣いをもらうようになり、普段でも欲しいものがあれば自分の小遣いで買えるようになった。そこで一般的なプレゼントでは子ども達は喜ばなくなった。こうして80年代のプレゼントはゲーム機、学習机などと、どんどんグレードアップしていった。
90後(1990年代生まれ)
1990年代に入ると、中国は各方面で日進月歩の変化を経験し、人々の生活水準は小康(ややゆとりある状態)に向かい、考え方がより開放的になり、身につけるものも急速に変化した。児童デーには、子ども達は一番よい服を着て、自分たちの祝日を祝った。
90年代にはテレビが徐々に普及して、6月1日の夜に中国中央テレビが放送する「六一晩会」を見るのが児童デーの定例になった。
改革開放が進むと、海外の映画、漫画、アニメが中国市場に進出し、中国のおもちゃ市場も海外コンテンツに占領されて、ドラえもん、ミニ四駆、バービー人形などが子どものおもちゃの中心になった。(編集KS)
「人民網日本語版」2020年5月30日