「日本語スピーチ大会に参加しよう」という内容を2014年に、このコラムで書いたが、その中で、「自信のなさや、恥ずかしい思いをしたくないといった自尊心を守ろうとする心から」参加したくない学生が多いと述べた。
しかし、その後2018年現在にいたるまでに、スピーチ大会や作文大会に参加したくない学生の割合が大いに増えてきていると感じている。中国で日本語を教えている教員たちによると、スピーチ大会に出たいという学生は激減し、作文大会も自主的に応募する学生は殆どおらず、作文大会は一見盛況にみえるが、団体賞を目指す教員によって授業や宿題で強制的に書かされた作品が大多数であるという。こうした現状を数校の中国の大学の学生たちに聞いたところ、ほとんどの学生はこれらの大会に参加したくなくなってきている、というより、関心すらなくなっていた。その理由は、そもそも「日本語にそれほど興味を持っていない」や、ただ「やる気がない」といったものも多く、殊に外国語大学でない総合大学や理工系、財経など他の専門がメインの大学で顕著であった。エリ・ヴィーゼルの「愛の反対は憎しみではなく、無関心である」という言葉が思い浮かんでくる。
また、日本への留学についても、中国の学生は、以前はとにかく日本に留学したくて、僅かな留学枠を得ようと、必死だったが、現在は、国公立大学や有名私立大学ならいざ知らず、中堅以下の私立大学には、授業料免除や奨学金があったとしても枠が埋まらないという事態が本学のみならず、他大でも頻発しているという。留学したいのに学内での選考に漏れて行けずに涙を流す学生の相談を毎年のように受けていたのは、今は昔である。「学生の日本語のレベルも、年々低下している」と言う教歴20年30年の中国人ベテラン教員は多い。特に2000年代に入ってから中国は変化が速く、十年一昔でなく、五年一昔の感覚だ。
では、なぜこのようになって来ているのだろうか。
このウェブサイトの著作権は人民日報社にあります。
掲載された記事、写真の無断転載を禁じます。
Tel:日本(03)3449-8257
Mail:japan@people.cn