2015年8月12日  
 

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元残留孤児・大道武司さんが語る中国の養父「親子三代を育ててくれた」

人民網日本語版 2015年08月12日13:20

 

特集:国境を越えた人間愛 中国残留日本人孤児 >>

1930年代、日本の中国侵略戦争が勃発し、中国国民に多大な苦痛と被害を与えるとともに、多くの日本国民も苦しい生活を余儀なくされた。1942年冬、福井県に住む大道熊太郎一家は開拓団として中国黒竜江省牡丹江市に渡った。しかし、翌年の夏、熊太郎は過労が原因で他界し、熊太郎の妻は厳しい情況の中4人の幼い子どもを育てた。

1945年に日本が降伏すると、4人の子どもを連れて帰国を考えた熊太郎の妻だったが、飢餓と疲労から哈爾浜(ハルビン)に向かう道中に倒れ他界、息子の大道武司さんと兄弟姉妹4人は孤児となり、多難の末哈爾浜に辿り着いた。ある日、哈爾浜の市場で遊んでいた大道さんは、突然の騒乱に兄、姉、妹と逸れ、離れ離れになってしまう。その後大道さんは中国人の孫祥珠夫婦に引き取られ、孫有鈞と名づけられた。中学に進学した頃の話、大道さんは足の病を患い、激痛の余り歩くことすら困難になった。「私の病を治そうと、養父母は昼間は人力車を引いて働き、夜はタバコを巻き、服を縫いと、無理を押していくつもの仕事を掛け持ちしてくれた」と大道さんは感極まった様子で当時の様子を語る。


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