開発途上国の経済・社会の開発を支援するため、資金的・技術的な協力を展開する国際協力機構(JICA)。JICAは「青年海外協力隊」と呼ばれるボランティアを世界各地に派遣し、現地の人々とともに、その国や地域が抱える問題の解決に取り組んでいる。ここ中国にも、過去30年間に渡って800人を超える隊員が派遣され、日本語教育やリハビリテーションといった分野で貢献してきた実績がある。今回は前回に引き続き、内モンゴルで活躍する日本語教師、熊谷彰子さんをご紹介したい。
熊谷さんは2013年10月から、内モンゴル自治区赤峰市内の赤峰市元宝山区第二中学(日本の公立高等学校に相当)に日本語教師として派遣された青年海外協力隊員。大学を卒業して数年間社会人経験を積んだ後、学生時代から興味があったという語学教育と国際協力の二つの分野が結びつくJICAの教育支援活動への参加を決意した。
JICAは「日本人教師がいない学校」を隊員派遣の重要な選定条件の一つとしているが、熊谷さんが派遣された地域は、地理的環境から校内はもとより街全体でみても外国人はほとんどおらず、熊谷さんがこの街に滞在する唯一の日本人かもしれない。そのため生徒たちにとって熊谷さんは初めて見る生身の日本人であることが多く、そんな「珍しい先生」を生徒たちはスターのように歓迎してくれたという。「赴任当時は休み時間になると生徒に囲まれ写真撮影、サインを求められることもあったが、今では私がいることにも慣れ、普通の一教師として接してくれるようになった」と振り返る。
この間、生徒たちが接する初めての日本人として、そして日本という国を伝える役割を担う者として、自分の行動を通じて、「日本ってこんな国なんだ、日本人はこうなんだ」と受け止められるかも知れないことを意識し、日々「日本人代表」に努めてきた。熊谷さんの和やかな授業の雰囲気や廊下で熊谷さんに笑顔で話しかける生徒の姿から、熊谷さんがこの学校に溶け込み、信頼を集めていることが十分に伺えた。もちろん、日本を伝えるという一方的な交流だけではない。両親や教師のプレッシャーの下ひたむきに努力を続ける生徒たちの素直さや、「先生が授業に持っていく荷物はないか授業前に係の生徒が職員室に確認にやってきて、荷物を全部持ってくれる」といった日本にはないであろう教師に対する敬い方などに触れ、生徒との交流の中でこの地の学校文化を常に肌身で感じている。
教師として研鑽し続けることも忘れていない。機会を見つけてはベテラン中国人教師の授業を見学してその教授法を学び、自身の授業の後は反省点をノートにまとめ、何か問題があれば他の地域で教鞭を執る隊員らに相談する。そんな熊谷さんへの元宝山区第二中学教師陣の評価も非常に高い。同校日本語学科の劉世和(リュウ・シーホー)主任は、「熊谷先生はとても熱心で、生徒の読む・書く・聞く・話す力は大きく伸びている」とその役割の大きさを語る。
「努力してみなければ結果は分からない。なんでも諦めずに、最後までやり通してほしい」と生徒たちにエールを送る熊谷さん。任期は今年10月までとなっており、残りの半年間、引き続き「草の根の外交官」として、現地の人々との相互信頼と相互理解を深め、中日両国の懸け橋として活躍してくれることを期待したい。(岩崎元地)
「人民網日本語版」2015年5月6日