人民網でインタビューを受ける方軍氏。■日本の元兵士を取材、歴史的な選択
記者:留学中に、中国を侵略した日本の元兵士を取材しようと思った理由は?
方氏:私は1991年に日本で留学し、44歳になり帰国しました。中年の人間として、上の時代から歴史を引き継ぎ、次の世代に歴史を知らせる責任があると感じたんです。私は読売新聞北京支店で長年勤務していたことから、記者として取材する能力がありました。私の父と二人のおじは、中国を侵略した日本軍によって殺されましたが、私は憎しみを抱いていません。これは戦争がすでに遠く離れた過去となったからです。私たちに必要なのは、歴史を振り返り、歴史を総括し、自らを正すことです。私はものを書くことが大好きで、書いていると心の中がすがすがしくなります。私は率直な人柄で、人との交流を好み、また、日本語の基礎、日本語で交流する能力を持っています。偶然の機会に私は日本軍の元兵士に出会い、彼らの取材を開始しました。日本の元兵士による協会には毎年の通信網があり、また毎年集合写真を撮るため、訪ねることが容易だったのです。
私は、日本にいた頃は記者ではなく、ただ元兵士と話をしながら食事するだけでした。それと同時に著作を試み、国内の「中国青年報」に投稿したこともあります。本格的にものを書き始めたのは、帰国してからのことです。1998年より、私は口述史の研究を続けています。2002年に退職してから、元兵士の取材を続けており、抗戦史の生の資料を蓄積しました。私は日本兵とやりとりした手紙を保存しており、200通以上に達しています。彼らの多くは反戦主義者で、若者にこの歴史を知らせるべきだと感じています。
■歴史を記録するため、9冊の本を出版
記者:最近は日本の元兵士を含む最後の人々を取材しているそうですが、取材した元兵士は何人になりますか?
方氏:日本にいる間に、22人の元兵士を取材しました。帰国してからも15人を取材したため、計37人の元兵士が私の取材を受けたことになります。彼らの一部はすでに亡くなっています。戦争からもう68年が経過し、多くの人が高齢者のため、この世を離れていきました。彼らの考え、彼らの警告を留める必要があると感じています。
一人の作家として、私は長年に渡り、戦争を経験した人を自費で取材しており、本も出版しました。最近出版された「親歴九一八」(満州事変を自ら体験して)、「最後的尊厳」(最後の尊厳)を含めるとすでに9冊出版していますが、儲けは無いに等しく、出費を強いられているほどです。儲けがないのになぜ取材を続けるのか?それは誰かがこの歴史を記録するべきだと思うからです。あと3年も過ぎれば、これらの抗戦に参加した高齢者のうち、生き残っている人は多くないはずです。
近日中に「来謝罪的鬼子兵」(謝罪に来た日本兵)という本を出版する予定です。本に登場する多くの人を、読者もよく知っているはずだと思います。本多立太郎という元兵士は、かつて盧溝橋の下で跪き謝罪しましたが、すでに亡くなっています。それから東史郎という人も登場しますが、彼のことを知っている人はもっと多いでしょう。彼の「東史郎日記」が、中国で出版されたからです。それから山辺悠喜子という人は、その後八路軍に従軍しました。他にも塩谷保芳という人は、人民網のインタビューに応じ、多くのネットユーザーから質問を受けたことがあります。しかし塩谷氏は現在、すでに寝たきりの状態になっています。
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