日本人戦犯・岐部与平の1954年7月の供述書によると、岐部は1895年に日本の大分県で生まれた。1921年6月には日本関東庁理事官・偽大連民政署財務課課長、1944年4月には偽満洲国厚生会理事長に任じられた。1945年10月26日、長春でソ連軍によって逮捕された。
岐部が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1939年6月以降、偽安東省省長在任中、労工として徴用を命じた中国人民は「四万七千名ト推算」され、「宿舎、給食等ニ関スル管理不充分ノ為病気、死亡等ノ事故ヲ発生シタモノデアリマス」。「死亡数ハ推算十五人デアリマス」
1939年から1941年には、密山・林口・虎林・宝清などの県に「日本開拓移民団」14団・650戸を入植させ、中国人民の土地を略奪した。
1941年には、「東安河管内」で中国人にアヘンを売り、「売下量六十七万六千両ト推算シマス」
1942年9月から1944年3月31日までの偽満間島省省長在職中には、日本関東軍の軍用道路などを作るため、「推算一万五千人」の中国人労工の徴用を命令した。
1943年4月には、延吉県で空港設置のため、「軍ノ要求ニヨリ延吉県ニ命令シ民有地約十公ケイを収用シマシタ。被害戸数三戸人口十五人デアリマス」
1942年から1943年までは、管轄地域で中国人の徴兵を行い、「一万二千人ヲ徴兵セルモノト推定シマス。国兵ニ徴セラレザル壮丁ハ法律ニ因ッテ勤労奉公隊トシテ労工ニ服サセマス。私ノ在職中ハ毎年約一万二千人の壮丁ヲ徴用シマシタ。其ノ使役先ハ一般労工ト同一デアリマス」。さらに管内の中国人にアヘンを販売し、「売下阿片量ハ約三十五万四百両デアリマス」(編集MA)
「人民網日本語版」2014年7月30日