App Storeの6割がダウンロードされず、コンテンツが勝負の鍵 (2)
一部のSNSサービスは「広告がコンテンツであるべき」とする考え方を提起している。普通の広告よりも、有名人の写真や、友人からのメッセージのほうがユーザーの興味を引きやすいためだ。例えばフェイスブックは、企業側が広告を押し付けるのではなく、友人のアップする写真などを通じて自然にユーザーの欲求を生み出すことができる。これこそが、「コンテンツ」の魅力だ。
しかし一方で、情報が氾濫する今の時代、質の高いコンテンツの価値が急激に低下している。一部のニュースアプリはオリジナルの記事が無くとも、1000万人の利用者を獲得できる。コンテンツ重視がソース・サービスの重視になり、アプリを見栄え良く洗練されたデザインにすれば十分というケースもあるほどだ。
コンテンツが豊富になることで良い点もあれば悪い点もあるが、とにかく言えることは、情報が過剰になるほど同一化が深刻になり、質が高く独特なコンテンツが少なくなるという点だ。コンテンツがなければ、どれほど卓越したデザイン、どれほど行き届いたサービスも、一瞬の快楽に過ぎない。アプリの寿命をのばすためには、コンテンツそのものに回帰する必要があるかもしれない。
当然ながら、デザイン・共有・個性化を通じて、コンテンツをより輝かせることができる。ゆえにアプリの場でいかにコンテンツを輝かせるべきかも、検討すべき問題である。
例えば一部の質の高い紙メディアはコンテンツの二次開発(情報のまとめなど)により、アプリの即効性・利便性に合わせることができる。コンテンツの個性化もまた、一つのすう勢になりつつある。例えば、ユーザーが好きなコンテンツ(微博や天気など)を選ぶと、アプリがこれらのコンテンツをまとめ、1つの雑誌の形に編集し、ユーザーの選択に合った独占コンテンツを作成してくれる。
データの公開が進み、計算がスピードアップする将来、ビッグデータ分析を経たアプリはユーザーの心を「推測」し、興味を分析し、オーダーメイド型のコンテンツを作れるようになるかもしれない。
アプリの時代は依然として、コンテンツが最も重要だ。新技術は質の高いコンテンツを美しく彩り、コンテンツと融合することさえできる。しかし、しっかりとしたコンテンツがなければ、新技術は見栄えが良いばかりで実用性のない「飾り」を作り出すばかりだ。(編集YF)
「人民網日本語版」2013年7月19日