急激な自動車社会、運転マナー熟成が課題 中国
車を所有し、運転する国民を増やすこと、これは発展だ。一方、交通ルールを守るドライバーを増やすことは文明である。
ほかの車に道を譲らない行為は、処罰の対象となる。北京市衛生局はこのほど、救急車の優先走行環境を確保するため、同紙は近く救命救急関連法の立法に着手することを明らかにした。関連法では、緊急出動中あるいは重篤患者搬送中の救急車に道を譲らないドライバーは処罰の対象となり、深刻な結果がもたらされた場合は法的責任が厳しく追及されることなどが盛り込まれる見通しだ。
北京で交通事故に遭ったある女性(50)にとって、立法成立は遅すぎた。この女性は今月7日、タンク車にひかれ、救急車で近くの病院に搬送された。搬送中、ほとんどの車が救急車に道を譲らなかったため、わずか3キロ先の病院に着くまで40分もかかってしまい、結局、彼女は病院まで持ちこたえられなかった。
このような悲劇はほんの一例に過ぎない。助からなかった貴重な命への無念さ以外に、無神経なドライバーへの非難や異常なまでの北京の渋滞に対する憤りを感じる状況において、我々はどのような解決方法を見出すことができるだろうか?
今回の事件発生後に行われたオンライン調査で、「あなたは自ら進んで救急車に道を譲りますか?」との質問に対し、「はい」と答えたネットユーザーは95%に上った。しかし、なぜ現実は相反しているのか?思っていても実行できない裏には、ほかの原因が潜んでいるのだろうか?
「運転している時」と「していない時」の状態はかなり違うと感じているドライバーは非常に多い。普段はとても穏やかな人なのに、一旦ハンドルを握ると人格が豹変する。その穏やかさはどこかに吹っ飛び、いきなり大胆になり、前を走る車が少しでもノロノロしていると、たちまち苛立つ。渋滞にひっかかるとたちまちキレる。割り込む車があれば、下品な言葉で罵る。このような「路上豹変族」が自ら進んで救急車に道を譲ることは、たしかに想像し難い。
「路上豹変族」は、内と外で行動を変えている。ドライバーは、運転時、鉄製の頑丈な空間に入ることで、わが身の安全を感じると同時に、「孤島に一人きり」という感覚も生まれる。車が途切れなく流れている道路は、「見知らぬ人々の社会」であり、「自分の知らない社会」となる。マナーや法的拘束が存在しないと、ドライバーは全員「野放し」状態となり、その場限りの短絡的行動がはびこるのは避けられない。「自分さえ良ければ他人のことはどうでもよい」行動が「理性的選択」となる。たとえば▽われ先に進む▽ハイビームヘッドライドを点灯して走る▽所かまわず駐車する---などの行為も「脱道徳化」していく。