中国に対して友好的な日本人はどれほどの割合必要か? (3)
「週刊!深読み『ニッポン』」第46回 1951年4月16日未明、日本を6年近く統治したマッカーサーは厚木米軍飛行場へ車で向かっていた。朝鮮の戦場での指揮が原因でトルーマン大統領に解任され、帰国することになったのだ。おびただしい数の日本人が自発的に沿道に立ってマッカーサーを見送り、激しく泣いて涙を流す人さえ少なくなかった。日本の各大手新聞は次々に社説を掲載し、マッカーサーへの謝意を表した。日本政府はマッカーサーへの「終身国賓待遇の贈呈」と「マッカーサー記念館の建設」を検討するとも表明した。日本人は「私たちの畏敬と従順は大元帥に素晴らしい印象を残したはずだ」と誰もが信じていた。
だがその22日後にマッカーサー大元帥が米議会で行なった発言は、日本人に頭から冷水を浴びせるものだった。彼は「日本人の精神年齢は12歳に過ぎない」と言ったのだ。このニュースが伝わるや、日本人はびんたを食らったように直ちに顔色を変えた。「国賓」「記念館」計画は先送りになり、有名企業数社が「私たちは12歳ではありません!」との共同広告を新聞に出した。
「12歳」との評価について、マッカーサーがその後説明することはなかったが、日本人は各種各様の解釈を自らした。マッカーサーには「日本の戦争の罪を軽減する」意図があったのだと、あまりにも無邪気に考える人さえいた。12歳の少年の「無鉄砲な行為」は、成人の犯罪ほど悪質ではないというのだ。それから60年余りが過ぎた。12歳の少年日本はもう成長したのだろうか?
近い例で言うと、最近10年間の中日関係を振り返ってみれば、「日本人は政治的に依然未成熟だ」との認識で誰もが一致するだろう。中国や他の隣国に対する日本右翼勢力の近年の非友好的言動は、日本の国家と民族の利益にとって一体どれほどメリットがあるのか?ない?それなら、なぜまた好き好んで飽きずにそうするのか?彼ら12歳の少年が一日も早く大人に成長することを真に期待する。(文:周冬霖・中国中日関係史学会理事、中日桜花文化交流センター長)(編集NA)
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「人民網日本語版」2013年7月18日