日本人はなぜ魯迅を好むのか? (2)
魯迅はかつて「孔子が今も生きていたら、親日派だろうか、反日派だろうか」と内山完造に聞いた。魯迅はこれについて即答しなかったが、「拿来主義」の中で示した観点によれば、いかなる民族(中国や日本、そして中国に対して深い影響を持つ米国やソ連)の思想文化にせよ、それぞれの長所があるはずで、それをすべて肯定もしくは否定するのは、科学的なやり方ではない。後世の知識分子は「胡適か魯迅か」という論証に夢中になりがちだが、五四運動中に彼らが共に戦ったことを見落としがちだ。例えば、魯迅は内山完造に対して、中国人が学ぶべき日本人の長所は、その真面目さだと語った。胡適も「差不多先生伝」の中で、中国人のいい加減さを強く否定している。この点はまさに、魯迅の医者としての冷静・理性をよく示している。
魯迅は一人の医者として、人類が持つ欠点を強烈に批判したが、人類の生命や尊厳に対しては、愛情と尊重を示している。医者は「良薬口に苦し」、「病を治し人を救う」存在であるが、ウソつきは甘言を弄し、富を求め命を損ねる。そのため魯迅は暴力と虐殺を最も憎み、不当な手段により富を築いた話を非情に暴露し、青年学生の異常な死が耐えられなかった。これは魯迅が文章を通じて蒋介石政府をたびたび批判した主因だ。そのため人民の虐殺を試みる政府は、すべて魯迅の敵である。一方で、魯迅は新たな物事を愛し、これを励ました。魯迅は新たな文芸方式(欧州の木版画等)を最も好み、何度も展示会を開いた。ドイツ人の豪放さ、ロシア人の繊細さ、革命の激情、退廃と寂寞のすべてをこよなく愛した。
日本文学の研究家の竹内好によると、日本の作家と読者が魯迅を好むのは、今日に至るまで日本の文学界に魯迅のような作家が現れていないためだ。これは日本の知識分子が魯迅を尊重する根本的な原因だろう。内山完造は、魯迅が日本古代の武士が持つ侠気を持ち、強硬であるべき時に妥協しなかったことが最も印象的だったとしている。抑圧と搾取にあえぐすべての人に対して、まずは自尊心、自信、自立を教えなければならない。自らを堂々たる「人」に改造することで、この民族に対して新たな転機をもたらすことができる。その過程において、自己批判と自己改造という、苦しく長い道のりが強いられる。この点について、魯迅は自ら模範となってくれた。魯迅が創作を開始してから今日にいたるまで、彼に対して数えきれないほど多くの批判・評価がなされてきたが、魯迅の自己評価よりも厳しく、骨の髄まで染み渡る批判はなされていない。この点は、おそらく日本民族にとって最も不足している、今日にいたるまで把握できていない精神だろう。
刀の鋭さと菊の趣を愛でる民族は、驕りやすくまた挫折しやすい。反省をせず、死んでも過ちを認めなければ、次の悲劇が始まるだろう。中国と日本は、歴史・文化の面で同じ源を持ち、心理・歴史の面で同じような経験をしてきた。魯迅のような知識人は真っ先にこれを感じとり、人々の心を震わせる作品を生み出したのだ。
仙台市は今日も、毎年一連のイベントにより魯迅の誕生日を祝い、この中国出身で、奮起し戦争に立ち向かった弱小民族のすべてを代表する精神的指導者を称えている。今日の中国では、韋小宝(金庸の武侠小説「鹿鼎記」の主人公)のような功利主義・日和見主義が横行しており、批判と反省を妨げている。魯迅は当時、「中国人はなぜ自信を失ったのか」と問いかけた。理想と希望を軽視・嘲笑し、自己反省と自己批判が失われ、権力を恐れ、不公平を無視し悪に同調すれば、新たな「阿Q」が生み出されるのではなかろうか。(編集YF)
「人民網日本語版」2012年11月23日