最近、日本の経済社会の目下の発展状況や今後の情勢に関する話題がたびたび注目を集めており、筆者は数年前、日本・名城大学の伊藤賢次教授が当方の研究所で行った報告を思い出している。伊藤教授は報告の中で「失われた15年」という見方を肯定し、日本のバブル経済は約1985年に始まり、1990年から崩壊し、バブル経済の影から本当に脱却し、復興の兆しが見えるようになったのは2005年だとした。よって日本のバブル経済の周期は「失われた15年」ということになる。(文:■<竹かんむりに旦>志剛・黒竜江省社会科学院北東アジア研究所所長、研究員。「環球時報」に掲載) では、日本の隆盛と衰退には周期があるのだろうか。歴史に詳しい作家の半藤一利氏は日本の近現代史を振り返り、仮説と断りながら、「日本の発展には40年で一巡りするという運命的な軌跡がみられる」とした。半藤氏によると、明治維新前夜から現在に至るまでの歴史を振り返ると、日本は40年で近現代国家を建設し、続く40年間で自滅に向かい、その後の40年で復興を遂げ、再び強くなった。建設、滅亡、再建、再滅亡の道をたどってきた……一巡りしてまた元に戻るこの動きは、宿命的な循環だといえないだろうか。慎重な半藤氏は書物の中で仮設として自説を語り、答は出さない。筆者も日本の近現代史の主軸から仮説に基づいた推断を下すしかない。
1853年に米国のペリー海軍提督が艦隊を率いて日本のドアを叩き、開国を迫った。天皇を中心とする京都の朝廷は、徳川幕府が日本を受け身で他国からの攻撃を受ける植民地に陥れる危機を招いたことに不満で、倒幕運動を開始し、1865年に勝利が確定した。その後1905年の日露戦争で日本は当時世界5位の強国だった帝政ロシアに勝利した。この40年間に、日本は植民地や半植民地になる運命から逃れ、国家の近現代化を実現し、最初に立ち上がったアジア近代国家となった。日本の成功は欧米諸国を驚かせた。
しかし40年で建設した「大日本帝国」は、日本が発動した侵略戦争にともなって1945年に灰燼に帰した。それまで天下に敵なしとおごり、各方面と敵対していた日本は運命の悲惨な転換点に直面せざるを得なくなり、明治以来の近代化の成果をことごとく葬り去ることになった。これに費やした時間もちょうど40年だ。
戦後の日本は米国の占領政策の転換に守られ、「冷戦」という大きな背景の中で、朝鮮戦争やベトナム戦争などさまざまな特需によって活性化され、40年で一巡りを再び実証した。1945年からの10年間で経済は復興し、18年間は高度成長を遂げ、12年間は成長ペースを維持し、ばらばらになりかけた日本は経済で再び立ち上がり、立ち上がるや世界2位まで駆け上り、2010年に中国に国内総生産(GDP)で抜かれるまでずっと2位だった。この40年間は日本が経済大国の夢を果たした40年だった。
「禍福はあざなえる縄のごとし」という。1985年に頂上に登り詰めると、バブル経済が日本経済転落の幕を開いた。1990年にバブル経済崩壊が始まり、経済の衰退は15年続いた。周期論を借りれば、1985年から2025年まで40年間の周期に、日本は42年間維持した世界2位の経済大国の輝きを失った。果たしてこれはさらなる衰退なのか、空白の15年の痛みを経て密かに蓄えている実力の再現なのか。明治維新以降の日本人の心の中にあった「農業の中国、工業の日本、海洋の日本、陸地の中国」という位置づけは徹底的に破壊され、アジアでも世界経済でもリーダー役は変わり、この小さな経済大国は改めてアジアで「人気がなくなる」憂き目を見ることになった。
40年で一巡りの「宿命」から考えて、2025年は日本が衰退から復興に向かう曲がり角になるだろうか。これは一種の仮説に過ぎず、大半の日本人は日本民族の運命が一種の宿命によるものとは信じない。歴史の軌跡が証明するように、日本民族の運命は勤勉 と知恵によって、発展を通じて危機を克服する意識によって、戦後の平和の道のりによって、アジア太平洋と北東アジアの一体化協力に溶け込むことによって決まる。
よって2025年に日本が再び力を発揮するかどうかは、宿命ではなく日本の主体的な努力の結果次第だといえる。(編集KS)
「人民網日本語版」2019年10月31日