物議をかもしている「頭部移植」手術に最新の情報があった。英デイリー・メール紙の17日の記事によると、イタリア人神経外科医セルジオ・カナベーロ氏が17日に、オーストリアの首都ウィーンで記者会見を開き、世界初となるヒトの頭部を死体に移植する手術が成功したと発表した。手術場所は中国。カナベーロ氏は、ハルビン医科大学の任暁平教授が今回の手術に参加し、指導したと話した。記者は19日にハルビン医科大学を訪れ、任教授を取材した。科技日報が伝えた。
任教授は、「手術はハルビン医科大学で行われた。約18時間に及ぶ手術で、私とチームは死体の頭部を別の死体の脊椎・血管・神経とつなげることに成功した。今後1週間内に、今回の頭部移植の関連データ・経緯・結果を、米Surgical Neurology International誌に掲載する。そこに手術に関する詳細な経緯がすべて掲載される」と説明した。
ハルビン医科大学の任暁平教授(資料写真)
――何をもって手術の成功を証明するのか?
任教授は、「学術誌に論文が掲載される以上、手術に学術的価値があるということだ。これまでは誰もやらなかったが、我々は今回これを実施した。どのように切断するか、神経をいかに処理するか、血管と筋肉をいかに処理するか、どこでやるか、どうしてこんなことをするかなどで、これこそが我々の成果だ」と話す。
そして、「この手術は非常に重要だ。我々は初となる、オリジナルの研究を行った。これは医療分野の節目だとする人もいる。例えば中枢神経の再生は、突破できない壁とされてきた。この研究は世界で停滞に陥っている。人類の医学史上、頭部移植には前例がない。手術ではいかに解剖するか、各組織をいかに修復・再構築するか、術後の最大の回復をいかに保証するかといった一連の問題がある。我々の手術はこれらについて、詳細な描写と革新的な設計を行った」としている。
――遺体の頭部移植成功は、移植手術を生きた人でも行えるということか?
任教授は、「その成功率については、試してみなければ分からない。臨床前のプランも改善を続ける」と答えた。
――「遺体手術」は解剖学の研究にしかならないという声も。
首都医科大学宣武病院機能神経外科副主任の胡永生教授は、「このいわゆる頭部移植手術は遺体を使用して実施されており、厳密には手術と称することはできない。手術とは生きた生物に行われる操作であり、遺体で行った場合、実際には解剖もしくは解剖学の研究と言えるだろう」と指摘する。
胡教授によると、現在の医学技術であれば血管・神経・筋肉・骨格の再構築は完全に可能だが、最も重要な問題は切断後の脊髄の神経再生及び機能再構築を完全に実現することだとし、国際的にもまだ画期的な進展がなく、「現段階で生きた生物の頭部移植について論じても、現実的な意義はあまりない」としている。
胡教授は「まずは動物実験を十分に行い、手術技術と神経再生方法が十分に証明されてから、人体実験を検討するべきだ。これが患者に対する責任あるやり方であり、医学の倫理に合致する。将来的に頭部移植は完全に現実になりうるが、現段階ではまだ遠い先の話だ」と指摘した。
◆頭部移植後は一体誰になる?
「遺体頭部移植手術が成功」という情報と当時に、「頭部交換」による倫理的な問題も再び物議をかもしている。
胡教授は、「将来的に頭部移植が科学技術レベルで完全に可能になったとしても、これに伴う倫理的な問題をいかに解消すべきか。頭部移植後は一体誰になるのか。頭部移植手術については冷静な態度を保ち、浮足立つべきではない。科学的な探索には意義があるが、過度な宣伝に利益はない」と強調した。
任教授は、「人類の医学は物議を繰り返しながら発展してきた。1953年の初となる腎臓移植手術について、当時の学術界と社会はやるべきではないと批判していた。人は正常に死ぬべきであり、他人がこれを変えてはならないというのだ。初の心臓移植手術もそうだった。さらには医師は非合理的かつ非合法で、道に背いていると訴状を出す市民もいた。私は20年前に米国で手の移植手術に関わったが、これも昨年には米国の医療法案に盛り込まれた。新しい物事は物議をかもすもので、その物議によって改善されるのだ」と説明した。
任教授は、「これは医師である私の使命だ。倫理の根幹をなすのは命と生存であり、これがなければ倫理も成り立たない。医学倫理学は、患者の治療を目的とする。新しい物事が登場した時に、人々はこれを規範化し、議論するべきだが、妨げることはできない。どんな力であっても阻止できないことは、歴史が証明している」と話した。(編集YF)
「人民網日本語版」2017年11月20日
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