2016年5月12日  
 

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地震の被災者に寄り添い8年、リハビリ治療師

人民網日本語版 2016年05月12日14:40

5月10日、綿竹市人民病院で、同僚とリハビリ科の事務室で患者の病状を分析する于さん(前)。5月10日、綿竹市金花鎮で、負傷者を回診する于さん。5月10日、綿竹市金花鎮で、負傷者を回診する于さん。5月10日、綿竹市人民病院で患者の治療を行なう于さん(左端)。5月10日、四川省綿竹市で、仕事を終えて帰宅した于さんが妻の劉さんとお喋りしている。5月10日、綿竹市人民病院で患者の治療を行なう于さん。
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ブン川(ブンはさんずいに文)地震発生から8年目にあたる今年、四川省綿竹市の人民病院リハビリテーション科の治療師于占東さん(30)が内蒙古(内モンゴル)から四川にやってきて仕事をし始め8年目の年でもある。ブン川地震発生時、黒竜江省大慶市の病院で治療師をしていた彼は、ネットで「福幼基金会」5.12負傷者のリハビリプロジェクトの募集の告知を見つけ、すぐに応募した。3年の医療リハビリテーション経験と専門的な教育経験を持つ彼は速攻で選考を通過した。熟考を重ねた末に彼は大慶での仕事を退職し、2008年11月、単身でブン川地震の被災地に向かい、リハビリプロジェクト第1陣のボランティアになった。被災地に到着すると、彼は他のボランティアと直ちに地震で負傷した人々のリハビリ治療を実施し、負傷者の機能障害状況を確認しリハビリテーション治療プログラムを作成した。新華網が伝えた。

ブン川地震の被災地でリハビリテーション治療ボランティアを担当した2年間、彼は綿竹市管轄のすべての県、郷や江油市管轄の県、郷の一部を隅々まで訪れ、数えきれない地震の負傷者が彼の治療を受けた。2010年、2年間のボランティア活動を終えた于さんは四川に留まることに決め、綿竹人民病院リハビリ科で仕事を続けた。それから8年、彼はすっかり本物の四川人になりきっている。「私の四川訛りはうまくはないが、患者とコミュニケーションを取る分には何の妨げもない」と于さんは話す。現在、同病院リハビリ科は地震後4人だったのが今や32人にまで大きくなり、8年頑張り抜いた彼は成果を上げたとともに、同市で自分の家庭も作った。妻の劉玉は生まれも育ちも生粋の四川っ子だ。今年、彼らの間には新たな家族が誕生する予定だ。(編集JK)

「人民網日本語版」2016年5月12日

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