国家公文書局は24日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(十四)日本人戦犯・池田義三郎を公式ウェブサイトで公開した。
池田義三郎の1954年7月30日の供述によると、池田は1913年、東京都生まれ。1933年に中国侵略戦争に参加し、1945年8月に捕らえられ、捕虜となる。
主な罪は以下のとおり。
1937年9月、河北省における作戦で、「わなにかけて捕まえた23歳の抗日軍兵士を銃剣で殺し」、また「中国人一般庶民1人を殺せ」と命じた。河北省保定の南では、「部落を抜け出し畑の中を走っている中国人(30歳)を見つけ、抗日軍と関係ある者だろうと思い、捕らえさせた」。中隊長のところに連れていくと、中隊長は「面倒だ。殺せ」と言った。そこで、部下に「銃剣で腹を突き刺せ」と命じ、殺害した後、死体をそのまま遺棄した。
1938年5月、河北省長垣県で、「中国人一般庶民と抗日軍100名の大屠殺に加わった」。中国人の住宅で、「避難先から戻ったその家の婦人」をその夜に「暴力を振るい強姦した」。
1938年5月、河南省のある村で、「中国人の住宅に侵入し、手りゅう弾6個、小銃の弾帯4本を隠していたという理由で、その家の男性(50歳)の顔面を殴打し外に突き出し、銃剣で胸を突き刺し、小銃で頭部を射撃し殺害した。死体はその場に遺棄した」。
1938年6月19日、所属する部隊が河南省中牟県で、「城内に居住している中国人一般庶民1000人を城外に追い出し、全員を黄河の濁流に追い込み殺害した」。「ある民家に侵入し、生まれて間もない幼児を抱いている女性を強制的に路上に追い出し、濁流に追い込み殺害した」。(編集LX)
「人民網日本語版」2015年8月26日