米国の「報道の自由」は無制限ではない (2)
一部の米国民は、報道の自由に対して誤った解釈を持っており、「米国憲法に公民権の自由の保護と政府権力の制限に関する修正条項が盛り込まれて以降、無制限の自由を獲得した」と思っている。米国には絶対的な報道の自由があると信じて疑わない人は、世界各国に少なくない。さらに滑稽なのは、米国政府は、自国に純粋な報道の自由がないにもかかわらず、報道の自由の欠如について他国に批判や口出しをしていることだ。
絶対的な自由が保障されている国など皆無で、報道の自由についても例外ではない。正義と悪を逆転させ、社会に危害を及ぼし、国家の安全や公的秩序を損なうような報道の自由を認める国などあり得ない。また、政治経済・社会の発展レベルは国家によってまちまちで、それに伴い報道の自由に対する開放度にも格差があることは否めない。国の発展に伴って自由度が高まる中で、国際社会も自由度というのは強制ではなく応援されて高まるものであることを理解するべきだ。(筆者:復旦大学国際問題研究院副院長・沈丁立教授)(編集KM)
「人民網日本語版」2013年5月17日