日本の生存の仕方を決定する歴史観 (2)
歴史の罪をそそぎ、国際社会に受け入れられる正常な国になるための道は1つしかない。つまり不名誉な歴史を全面的に認め、深く反省し、しかるべき責任を担うことだ。
1970年12月7日、ブラント元独首相がワルシャワのユダヤ人犠牲者記念碑前で跪いた驚くべき光景を人々は忘れることはない。40年後、再びワルシャワを訪れたヴルフ大統領は「ブラント元首相は過去、現在、未来の意味において責任を担った。これにより異なるドイツ人のイメージ、異なるドイツ、自由・民主・平和というドイツのイメージができた」と感嘆した。
不名誉な歴史を全面的に認め、深く反省し、しかるべき責任を担うという道に沿うことで、ドイツは自らのあがないを完了し、隣国との和解も実現した。2006年、初の独仏共同編纂の歴史教科書が刊行された。これはドイツの全16連邦州で使用が承認された唯一の高校歴史教材でもある。
国民は歴史教科書に書かれた通りの歴史認識を持つ。ひとたび日本の教科書によって若い世代が歴史問題で方向を見失えば、教育目標と見なされる「愛国心」は戦後国際秩序の取り決めに挑戦する負のエネルギーに満ち、日本が国際社会と和やかにつきあう明るい未来を得ることも困難になる。
「歴史は単なる過去の事ではなく、光を四方に放つ道しるべであり、人の現在と未来を照らし、われわれの生存の仕方を教え導く」。日本の思想家、池田大作のこの名言を忘れるべきではない。(編集NA)
「人民網日本語版」2013年11月25日