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教え子と卒業記念写真をする李仲生さん |
----2000年に帰国した後の仕事探しは順調でしたか?
2000年に帰国すると、私を必要とする所が多くありました。中国人口出版社のほか、いくつかの大学から人口研究所所長のオファーもありましたが、私は行きませんでした。首都経済貿易大学を選んだ理由ですが、当時『私たちの留学生活----日本での日々』というドキュメンタリーがあり、私もその主人公の1人だったためです。当時、楊河清学長がこのドキュメンタリーを見て深く感動し、私に連絡をとって首都経済貿易大学で働いて欲しいと声をかけてくれたのです。私もこれに感動し、首都経済貿易大学の教員になることを最終的に決めました。首都経済貿易大学に就職するとたいへん勤勉に働き、教壇に立ちながら、人的資源管理面の研究をしてきました。教える内容は主に労働経済学、人口経済学、人口学です。2000年の帰国から現在までの12年間に、論文を142本、専門書を9冊、共著を2冊発表しました。最近また1冊書いたので、専門書9冊、共著2冊となります。総研究成果は900万字に上ります。最近3冊の本を書きました。1つは『人口経済学』第3版、もう1つは『欧米人口経済学説史』で、これは古来の経済学者、人口学者100人余りの人口経済学に関する論説、およびその観点と私による評価です。さらに『世界人口経済史』があり、これもこれまで誰も書いたことのないもので、人類の起源から現在までについて書いています。計200万字以上です。
----当時の留学生活をどう評価されますか?
当時の生活は苦しいものでしたが、大変鍛えられもしました。現在の子どもたちの多くは家庭条件が良く、アルバイトをしなくなりました。当時は、留学生はほぼ全員アルバイトをしたので、とても鍛えられました。
----日本留学を考えている、または控えている学生に提案か意見をお願いします。
まず中国で1年以上の日本語学校に入り、流暢な日本語を学ぶのがいいでしょう。日本で学ぶ分野はそれぞれ違い、法律、経済、政治かも知れないし、理工系かもしれない。日本語の良い基礎がなければ、大学に入るのはたいへん難しく、講義を聴き取れないかもしれず、これは大きな影響が出ます。ですから、できるだけ準備を整えてから留学すれば、より少ない労力でより大きな成果を得ることができます。(編集NA)
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「人民網日本語版」2013年6月27日
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