浙江省杭州市にある銭江ニュータウンは、非常ににぎやかな街で、その様子を目にした盧英傑さんは、「僕がここに来たばかりの時は、広い畑の真ん中に中国電信(チャイナテレコム)のビルがポツンと立っているだけだった」と感慨深く語った。新華社が報じた。
香港地区が祖国に復帰してからの25年間にわたり、仕事のために杭州と香港地区を行き来し、杭州で起業するようになった盧さんにとって、この25年は最大のカギとなる年月だったと言える。1997年、香港地区出身の盧さんは夢を抱いて、新しい人生の道を歩み始め、自身のキャリアにおいて最も脂の乗った時期を、浙江省を流れる銭塘江の近くで過ごすことにした。
盧さんは大学卒業後、キャリアを積むために米国へ行き、そしてシンガポールなどにある世界的に有名なテクノロジー企業数社で財務担当役員を務めてきた。
杭州のオフィスで撮影した盧英傑さん(写真提供・取材対応者)。
杭州に来る前に、シンガポールからまず香港地区に戻った盧さんは、「両親は元々は広東省出身で、香港地区に移り住み、必死に働いてきた。両親は学歴こそ高くないものの、自分たちがどこから来たかについて、いつも話してくれていた。そのため子供の頃からアイデンティティーが心にしっかり刻まれていた」と話し、25年前に、香港地区が祖国に復帰した歴史的瞬間については、「気分が高揚した。あの瞬間から自分には祖国ができたと心から感じられるようになった」と振り返る。
1997年8月24日、36歳だった盧さんは、杭州モトローラ移動通信有限公司の最高財務責任者(CFO)として杭州に来た。そして、その後、複数の企業の財務担当役員も務めてきた。杭州で根を下ろして、結婚し、子供を産み、25年経った今、盧さんは浙江省と香港地区の文化融合を映し出す縮図ともなっている。
盧さんは、「杭州に来たばかりの頃は、市内の賑やかなエリアに住んでいたものの、その景観は北京や上海、広州とは比べものにならなかった。タクシーに乗ろうと思ってもなかなかつかまらないし、3輪トラックに乗って街中を走り回った経験もある」と振り返る。
ここ25年間、盧さんは、何年もかけて積み上げてきた財務管理の経験を活かして、企業のたくさんの若者が自分のキャリア発展の方向性や目標を見つけることができるようサポートしてきたほか、優秀な財務人材も育ててきた。盧さんは、「僕をとっくに追い抜いて、上場企業のCFOになっている人も多くいる。『後輩が先輩を乗り越えて立派になった』時の達成感というのは言葉にならない」と笑顔で語る。
2016年2月、杭州市の西湖を観光した時の盧英傑さん(写真提供・取材対応者)。
盧さんは、香港地区が祖国に復帰して以降、銭塘江では、同地区出身の人々からの投資や起業の「足跡」がどんどん増えていることも喜んでいる。浙江省統計局の統計によると、今年、中国大陸部以外の地域から浙江省へ直接投資する投資家が最も多いのが香港地区となっている。
そんな盧さんもあっという間にすでに60歳をこえ、定年退職する年齢となっているものの、平均年齢30歳のチームに加わり、それを「キャリア最後の夢、最後の挑戦」と見なしている。
「中国政府の第14次五カ年計画(2021‐25年)計画綱要において、オープンソースをトップレベルデザインに組み込んでいる。僕たちはちょうどそのコースを走っており、新しい合弁事業のスタイルを通して、中国の発展の特色にマッチしたオープンソース商業化の道を模索したい」と盧さん。
そして、「改革開放政策の奨励の下、一世代上の香港地区の投資家は、北京や上海で投資を進め、たくさんの利益を得て来た。一方、僕たちの世代は、祖国復帰の時代の流れに乗り、中国大陸部の急速な発展に歩調を合わせて来た」と話し、「中国が独自のコントロール可能なイノベーション技術を確立する面で、できることをしたい」と感情を高ぶらせた。それは、香港地区の今の世代の人々に共通する「国家の一員として国のために尽くしたい」という思いの代弁かもしれない。
盧さんは、「香港地区と祖国はこれからも手を携えて、たくさんの『25年』を歩んでいくことになる。今はその新たなスタート地点に過ぎない。香港地区の若者には、新たな発展のチャンスをしっかりと掴んでほしい。個人のキャリア発展と国運をしっかりと結び合わせなければ、自分に最適の方向を見つけることはできない」としみじみと語った。(編集KN)
「人民網日本語版」2022年6月15日