中央公文書館は16日、日本人戦犯・西永彰治の中国侵略犯罪の供述書を公開した。
西永(別名・中村亮介)の1954年7月の供述書によると、西永は1899年に日本の山口県で生まれた。日本の中国侵略戦争期間中、延吉間島日本派遣憲兵長や開封日本憲兵分隊長などの職を務めた。
西永が自供した重要な罪行として、以下のものが挙げられる。
1933年8月から1934年3月までは、所属の憲兵を率いて共産党の遊撃隊員と反満抗日分子20人を「延吉川流域延吉橋梁下流の河原に於て」殺害した。
1934年秋から1935年初夏にかけては、所属の憲兵を率いて共産党遊撃隊員と反満抗日分子16人を「図們市北側に沿って流れある延吉川流域に於て」殺害した。
1939年8月から1940年11月まで、開封憲兵分隊長に在任中、所属の憲兵に命令して抗日救国人員12名人を殺害した。(編集MA)
「人民網日本語版」2014年8月19日