「80後」の若者が見た日本、そして感じたこと--カク明さん (2)
取材内容
若くてかっこいい「80後」の若者は、取材に答える際、中国の新しい世代の若者が見た日本を知らしめてくれた。また、海外に留学するという人生の重大な選択のさまざまな見方も教えてくれた。これは、私に「80後」たちは1980年代や1990年代に日本に留学した人々が経験したような大変な経験はしていないものの、彼らは留学の中でかなり背負ったものがあり、新しい人生の道を見出したことがわかった。
■高校卒業後、日本へ留学 人とは違う道を拓く
人民網:いつごろ日本に留学しましたか?その頃の中日間の交流はどのような状態でしたか?
カク明:2005年4月に日本での留学を始めました。2005年は、まさに中日関係が谷底の時代でしたが、私個人にとってはずっと前から日本での留学を決めていたので、当時の中日関係は自分の最終的な決定に何も影響しませんでした。しかも2005年に出国した留学生、中でも高校卒業後に出国した人はまださほど多くなかったので、自分を鍛え、さらに多くの経験ができるだろうと思い、最終的に留学という道を選択したのです。
人民網:どのようにして日本への留学を決心しましたか?当時の中国の社会状況はどのようでしたか?
カク明:私は高校卒業後の日本への留学を決めていました。当時、中国の大学卒業生の社会での競争は日増しに激化し非常に厳しいものでした。中国の名門大学に入れなければ、4年間の時間を国内の高等教育を受けて就職するか、細い道である留学を通して自分の視野を広げるという人と違う道を歩くのか。最終的に私は中国の大学生とは違う成長の道を選び、海外での独立した生活経験と海外の先進的な知識を学ぶことを通して、将来的に国際的な舞台で自分の競争力をつけることを選びました。
■まず、独立して生活し、人生に挑む
人民網:初めて日本を訪れた時、どんなふうに感じましたか?周りの環境(異国文化)には悩みませんでしたか?
カク明:初めて両親から離れて生活したので、確かになれないことが多く、しかも異国での生活でしたから。ゆっくりと自分ですべてのことができるようになっていきましたし、自分のやったことに責任を持つことを学んでいきました。こうした幼いころから両親のそばで大きくなったところから、両親に依存することに慣れていた自分にとってはとても大きな挑戦でした。両国の文化の違いについては、出国前に気持ちの準備をしており、現地の情報をできるだけ集めるようにしていたので、悩むことはありませんでしたし、反対に日本での暮らしは自然と湧き上がってくるような親近感がわいていきました。
人民網:日本に行ってみて、日本や日本人の考え方は日本に行く前に比べ変化がありましたか?
カク明:日本に留学に行く前私は日本に対してあまり多くを知りませんでした。東京や大阪のような大都市のことを聞いていたにすぎませんでした。しかも日本に行く前に比べ、更に日本に対して近い距離で観察してみて、美しい環境や発達した交通網、先進的な技術などに強い印象が残りました。留学を通して私は、細かいところで異なる国や文化を知ることになったといえます。日本人に対する考えは完全に変わりました。日本人の礼儀を重んじるところ、公共心や細部まで探究する精神には敬服しますし、私は中国も学ぶ価値があるところだと思います。