父親の遺体を提供し、母親の帰りを首を長くして待つ女性 武漢

人民網日本語版 2020年04月20日15:25

新型コロナウイルス肺炎の患者を受け入れるために建設された仮設病院の武漢火神山医院の病室は次々空室になり、「封鎖」と書かれた紙が貼られるようになっている。しかし、蔡徳潤さん(70)はここ火神山医院に永遠に留まることになった。いや、正確に言うならば、蔡さんはここで懸命の治療を受けたものの亡くなり、遺族が研究のために献体したことで、その遺体の一部が永遠にこの地に留まることになったのだ。中国青年報が報じた。

蔡さんは2月8日に新型コロナウイルス感染が確認され、3月9日に亡くなった。娘の蔡雅卿さんによると、蔡さんが亡くなった日は雨が降っており、午後1時過ぎに、病院から電話がかかってきて父親が危篤になっていることを告げられた。

遺灰は返してほしい・・・

2019年5月、70歳の誕生日の日に、蔡雅卿さんと一緒に焼き肉を食べに行った蔡さん(画像は蔡雅卿さんが提供)。

新型コロナウイルスウイルスというこの厄介な感染症が、蔡さん一家を襲った。まず、両親の感染が確認され、同居している蔡雅卿さんは肺の検査では感染が認められたが、PCR検査の結果は陰性だった。これは医学的には、彼女は濃厚接触者であり、臨床的には感染が確認された症例となる。両親が病院のベッドで病魔と闘っている期間中、彼女は隔離施設から方艙医院(臨時医療施設)に転院し、その後自宅に戻った。その間、眠れない日が続き、悪夢を見て、睡眠導入剤を使ってようやく眠りにつく日々だったという。携帯の電源は常に切るわけにはいかず、かかってきたら必ず出られる状態にしていたといい、「両親共に重篤患者で、いいニュースなど一つもなかった」と振り返る。

3月9日は最も悲しい日で、火神山医院の医師から、「蔡さんのバイタルサインが非常に悪く、必死の手当てをしているものの、心の準備をしておくように。また、親戚などにも連絡しておいたほうがいい」と告げられたという。

同日にかかってきた2回目の電話で、医師に、「かなり悪い状況。今日が峠かもしれない」と告げられた。蔡雅卿さんは思わず黙り込み、電話をかけてきた医師もしばし言葉を発しなかった。しかし、十数秒後、蔡雅卿さんは医師から、「もし、お父さんが亡くなったら、研究のために献体してらもえないか」とそっと尋ねられたという。

医師はとても申し訳なさそうにそう尋ねたものの、蔡雅卿さんはとても驚き、茫然とし、「今こんなことを聞かれるということは、お父さんはもうだめなんだろう」と感じ、とても悲しく、「今すぐには答えられない」と告げた。

電話を切った後も、「献体」のことが頭から離れず、蔡雅卿さんは、「私たちを傷つけるかもしれないことが分かっているのに聞いたということは、たぶん国が感染者の遺体を切に必要としている」と考えた。母親は当時も病状が重く、60過ぎの叔父に電話で相談すると、電話の向こうで泣き始めた。彼女が献体の意向を示したことに、叔父はとても驚き、「それはよくないだろう」と話し、「今後はそのことで思い悩むんじゃない。今後は心理的負担を抱え込むんじゃない。普通の人はそんなことはしないんだから」と諭された。

その日、火神山医院からかかって来た3度目の電話は訃報だった。蔡さんは同9日午後4時40分に息を引き取った。

蔡雅卿さんは電話をかけてきた医師から再び、「こんな時に献体のことを話すのは非常に気分を害すことかもしれないが、是非、あなたの意見を聞かせてほしい」と言われた。

蔡雅卿さんは、「遺体を何に使うのかよく分かっていない。国が何かを必要としているのであれば、同意する」と答え、「でも、一つだけお願いがある。遺灰は渡してくれないだろうか?」と付け加えた。

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