関西地域は日本の製造業の重要な拠点であり、20世紀初頭からその産業構造を徐々に複雑化させ、100年を超える時間の中で完成品の出荷額は約1万6千倍に拡大した。オムロン、京セラ、島津製作所、第一工業製薬、日新電機、日本生命、堀場製作所、任天堂、パナソニック、シャープ、日立造船など、関西では名だたる有名企業が数多く生まれている。ニュース・時事評論誌「環球」が伝えた。
近畿経済産業局が提供した資料から、関西製造業の100年に及ぶ歴史の基本的な流れを知ることができる。
1909年、関西製造業は化学、機械、外食、染織などの産業が中心で、当時の産業構造の中では原料指向型産業と加工組立型産業を合わせても30%に満たず、生活関連型産業が40%以上を占めていた。当時の完成品出荷額は3億1千万円だった。
30年になると、関西製造業には建築材料、セラミック、金属、飲食品、印刷などの産業が加わり、原料指向型産業と加工組立型産業を合わせた割合が約45%になり、生活関連型産業を上回った。この時期には繊維産業の占める割合は30%以上だったが、その後は年々低下している。30年の完成品出荷額は19億1千万円に跳ね上がった。
30年から60年までの30年間は、特に第二次世界大戦が終わってからの10数年間は、関西の製造業に新たな産業が最も多く加わった時期で、木材・製紙、石油化学・ゴム、セラミック、鉄鋼・有色金属・金属、機械、電気機械、輸送機械、計器・医療機器、食品加工、繊維・アパレル、家具・出版・皮革などの産業クラスターが生まれた。原料指向型産業と加工組立型産業を合わせた割合は約70%となり、完成品出荷額は4兆円に達した。
60年から85年までの25年間、関西製造業に新たに加わった産業には、プラスチック、精密機械、たばこなどがあり、種類はそれほど多くないが、日本の「所得倍増計画」や第1次および第2次全国総合開発計画などに背中を押されて、阪神、京浜、中京、北九州の四大工業地帯が一丸となって力を発揮し、日本経済の高度成長の主な推進役になり、関西経済もこの時期にピークに達した。85年の完成品出荷額は50兆6千億円だった。
その後、関西製造業は低迷期に陥った、日本経済の「失われた10年」は関西地域で最も顕在化し、85年から2000年までの15年間は、製造業に新たな産業が加わることもなかった。00年の完成品出荷額は51兆円。
その後、関西製造業はモデル転換し、汎用機械器具・生産用機械器具・業務用機械器具製造業、電気・電子・情報産業などが新たに加わったが、14年の完成品出荷額は49兆8千億円で、モデル転換の道のりの困難さがうかがえる。
現在の関西の産業構造では、原料指向型産業と加工組立型産業がそれぞれ約40%を占め、生活関連型産業とその他の産業を合わせても20%に満たない(14年のデータ)。鉄鋼産業と不動産業は全国で一定の優位性を保ち、サービス業も全国平均水準をやや上回る。だが金融・保険、交通・通信といった重要産業は全国平均を下回る。(編集KS)
「人民網日本語版」2018年4月28日
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