国家公文書局は26日、『中国侵略日本人戦犯供述書選』(十六)日本人戦犯・林正を公式ウェブサイトで公開した。
林正1954年10月9日の供述によると、彼は1920年に生まれ、原籍日本山口県という。1941年中国侵略戦争に参加、1945年8月捕虜となった。重要な罪行には以下のものがある。
1941年5月、湖北省鐘祥県において「一名の中国平和人民(男、年齢30才前、氏名不詳)を逮捕し来させ『道案内』にしようとしました。該平和人民は約五十米前進した時、小隊長の隙を見て逃げはじめました。この時私は…背後より射殺…しました」。
1942年11月、湖北省宜昌県において、逮捕された一名の中国平和人民(男)に対して「水ぜめ」(平和人民をあおむけに寝かせ大茶瓶を以って水を口、鼻の上に間断なく注ぐ)「火ぜめ」(麻縄を以て後手に縛り機械体操の鉄棒に吊レ、下から薪を燃やす)を行い「この平和人民を假死状態に陥入れ」「穴に入れてから生きかえるのを懸念して私は頸部を」もう一人の仲間は「心臓部を銃剣を以て刺突殺害し…」。
1943年6月、宜昌県において、大隊本部附軍医は「昭和十七年徴集(一九四二年徴集)衛生修業兵実地教育」の名目の下に「一名の軍事俘虜」に「注射を打って昏睡状態に陥入れ、胸部から腹部にかけて解剖し、該軍事俘虜の人体に基づいて衛生修業兵に人体諸器官の所在個所を説明し、后解剖用メスを以って該軍事俘虜の心臓部を刺突殺害しました」。
1943年8月、宜昌県において、中隊長は一名の中国男子に「『言わないと斬首する』と威嚇し…訊ねましたが目的を達しなかったのでこの中国平和人民を斬首しました」「最初うまく斬れなかったので鮮血に染って斃れた該平和人民を私に銃で支えておく様に命じ…私は実行し、この斬首に協力しました」。 1943年12月、湖北省宜昌県において、仲間一名「…と共に一名の中国平和人民(女、年齢四十歳前後)を侮辱しました」。(編集LX)
「人民網日本語版」2015年8月31日